人生30過ぎてからでしょう。

好きな本、映画、日々考えていること、気の向くままに書きます。

『ファッションポジウム』

 

6月3日に東大安田講堂で開催された『ファションポジウム』というイベントに参加してきました。

「男女の垣根を越えたファッションの未来を考える」がコンセプトで、三度の飯より男女のその先のことを日々考えている私にとって、胸から乳房が出るほど興味津々な内容で、『あのこのあしうら写真展』以来のやっぱ東京マジヤベーなイベントでした。

 

そもそもはNHKのドラマ等に出演されている、くりびつ仰天可愛い西原さつきさんのインスタでこのイベントを知ったのですが、イベントが始まってまず登場したのは安冨歩さんという東大東洋文化研究所の教授さんでした。この方、登場したというか降臨したというのが丁度良いくらいの神々しさをお持ちになられていて、私はこの方のことを全然知らなくて、この女性装をなさる奇天烈な東大教授さんとお会いできたことが今回の最大の収穫となりました。

 

イベントは安冨歩さんの基調講演、ファッションショー、モデルさんの服のデザインを手がけた『ブローレンヂ』代表の松村智世さんや西原さつきさんらのパネルトーク、写真撮影会の順で進んで行き、最後は陽気な音楽に合わせて皆で踊り狂うというなんだかよくわからない結末を迎えたのですが、東大安田講堂というまさに歴史的閉鎖空間のなかで、皆でやれば怖くない!というある種共犯的な一体感が終始会場を包んでいました。

 

基調講演の中で安冨さんは、我々は様々な「普通」という箱の中に閉じ込められるが、人生で最初に入れられるのが「男か女か」という箱だと話されていました。

その後のファッションショーで、まさにその箱から飛び出した15名ほどモデルさんたちが安田講堂ランウェイを舞うように歩いたのですが、一人のモデルさんの自己紹介テキストの中に「私にとって女性であるということはコンディションの話、人生のテーマにはしません」とありました。あちゃーやられたですよ本当に。男か女のその先を行っちゃってる。

ファッションに背中を押されて、勇気と覚悟で自分と向き合った人たちはこんなにも美しいのでした。

 

それでは私はどうやってその先に向かうのか。女性の格好をしたい男性の自分が本当の自分? 性別なんて記号を取っ払った自分が本当の自分? 考えても考えても結局わからなくて、もうどうしょうもないからみんな踊っちゃおうって、あの日の安田講堂にはあんなに素敵な音楽が流れていたのに、結局最後まで椅子からお尻を浮かせられない自分がそこいたのでした。

 

 

5月のあたし

 

この春から妻が念願のファッション業界に勤め出すやいなや、帰りがえらく遅くなったので、平日は僕が家事を担当しているのだけれども、早起きしてピンクの可愛いエプロンを身につけ、おにぎりを握ったり、お弁当箱に卵焼きを詰めたり、会社のお昼休みには夕食の献立を考えたり、帰り道にスーパーに寄って買物かご片手に冷蔵庫の中を考えながらネギを手に取ったり、帰宅後料理をして出来上がった物にラップして、妻にメニューをラインで知らせ、「たぶん先に寝てるけど気を付けて帰ってきてね」とかメッセージを送っていると、本当に自分が女性になったような気がしてくる。

一応断っておくが、家事をするのは女性の仕事だとか言っているのではなく、なんというか、僕よりはるかに長時間働いて好きな仕事をしている妻に対して、頑張って欲しいなとか毎日楽しんで欲しいなとか気を付けて帰ってきて欲しいなとか、そんなことを考えながら洗濯物を干したり、トイレの便座を磨いたり、はたまた休日でも「行かなきゃ」とか言いながら姿見の前で胡坐をかきながら化粧をしている彼女を後ろから見守ったりしていると、なんだか心と体がポカポカしてきて、自分の胸に乳房とか飛び出してくるんじゃないかとか思うのだ。

このポカポカ感が、僕の中では女性らしくて、家事なんていうのただの行為にすぎなくて、この感情にぴったりな言葉が見つからないから、自分が女性らしくなってきたとか言ってしまうのだ。

結局なにが言いたいのかというと、やっと好きな自分に近づいてきている気がする5月。

 

『伴走者 夏・マラソン編』 浅生鴨

 

いつだって障害×エンタメは放っておけません。

エンタメとは、つまるところ他人の世界を疑似体験することにお金を払うことですが、

アイドルや勇者や犯罪者の世界にはまっさらな気持ちで飛び込めるのに、

障害者の世界となると、僕はいろいろ余分なものを抱えて飛び込んでしまいます。

だから単純に泣いたり笑ったりすることがうまくできない。

多分僕みたいな人が多いから、障害を主題にした作品の数が少ないのだろうと思います。

そんななかで、今回の浅生鴨さんの『伴走者』。

ちなみに僕は、障害福祉分野で働いていた経験があるし、サブ3.5ランナーだし、小説家を志しているしで、相当要らないものを背負ってこの本を読みました笑

 

ネタバレあり

 

結論から申し上げますと、ラスト5ページくらい泣きっぱなしでした。

フルマラソンを走った経験がある人が読めばみんな泣いてしまうんじゃないでしょうか。

この作品は障害が主題のように見えて、マラソン(スポーツ)小説でした。

作中でもありましたが、フルマラソンの30キロを過ぎてくると、視界がぼやけ始めて、沿道の声援、シューズが地面を蹴る音も止み、自分の輪郭が曖昧になって周りのランナーと一体化したように、無意識にただひたすら前に進んでいく、そんな時間が訪れます。

僕は健常者ですが、そのときは誰かに伴走されているような、何かに走らされているような不思議な感覚に陥ります。ランナーだけが知っているあの特別な時間、作品ではラストの内田と淡島のやり取りにそれが滲み出ています。

また、小説という、書いたり読んだりを孤独にかつ能動的に進めるという行為そのものもマラソンにぴったりと重なって最後の素晴しいカタルシスが生まれたように思います。

 

主人公が淡島であること。内田がヒールであること。障害者の話ではなくアスリートの話であること。多分この3点がこの作品をエンタメとして成立させていると思うんですが、僕は、内田が障害を受容する過程であるとか、内田のマラソン以外の側面であるとか、もっと感情移入しづらい先天性のブラインドランナーの登場とか、そういったところを読んでみたい、書いてみたいと思うのですが、エンタメとして成立しづらいのかもしれません。

そんなこと言っても、とにかく自分を信じて書き進めるしかないわけですが、どなたか僕の伴走者(編集者)になってくれませんか。お待ちしています笑

 

 

From me to you

 

おそらく今夜も仕事から帰ってきて

 

太ることを気にして控えめにご飯を食べて

 

少しテレビを観て、その後たくさんスマホをいじって

 

ちょっとだけならいいかもってポテチを3分の1袋くらい食べて

 

風呂に入って、おざなりにストレッチして、またスマホいじって

 

明日のことを考えて、その日が明ける前にちゃんと寝る、そんなあなた

 

あなたはたぶん、僕が女の子として生まれた命の僕で

 

僕は真剣に、2018年のこの現実にあなたが存在していると信じているの

 

僕はあなたに会いたいし、おそらくあなたも僕に会いたいと思っているんだろなって感じている

 

あなたともし出会えたら、僕はポジティブな意味合いで、この男で生まれてしまった人生に見切りをつけることができるだろうし、あなたも男で生まれた僕がなんとか生きながらえていることを知って、いくらかリラックスした気分で今後の人生を送れるかもしれない

 

あなたが好きな仕事をしているとか、結婚をしているとか、子どもがいるだとか、ぶっちゃけそんなことはどうだってよくて

 

あなたが毎朝、仕事に行く前に、鏡の前に立って、今日も私キレイだなって思えているかどうかが僕にとっては一番重要なの

 

僕はこの30年以上生きた人生のなかで、ポップティーンとかミーナとかリーとかベリィーとかを読みながらこんな服を着てみたいとか、こんな化粧をしてみたいとかずっと考えてきたわけ

 

だから女で生まれたあなたが、できれば女の子を相当楽しんでいてもらいたいわけなのよ

 

僕はもう、この人生では、どうしたって僕が求めるような女性には、悲しいけど絶対なれやしないんだから

 

だからもし神様が許してくれるなら、この世界のどこかにいるはずの、あなたに会いたいな

 

 

ジタバタ

 

先日妻さんに、結婚して4年半が経ちましたが、あなたはどこで暮らしてもお友達ができるし、お気に入りの場所を見つけるし、四季を楽しむし、朝はなかなか起きれないけど行ったらちゃんといい仕事したっていう顔して帰ってくるし、今だって、ここ東京で、ケンカするくらいの仲間と終電逃すくらいのめり込める仕事を手に入れているけど、僕は君と結婚してからいったい何を手に入れたのさ、ってもっと穏やかにお優しく言葉を選んでお伝えしちゃったら、

「犬に触れるようになったじゃん」

と言われて、もうしばらくこの女と共に暮らしていこうと腹をくくりました。

 

たしかに僕は植物とか動物とか言葉を利用しない生命体にあまり興味がなかったんだけど、一年程前のある日仕事から帰ってきたら知らない柴犬が家の中にいて、セックスより掃除が好きな僕は、とりあえず命を冒しててでもつまみ出そうと近づいたら、「迷い犬保護しました」と満面の笑みで妻さんがボールに水を入れてキッチンから出てきたのでした。

僕はなるたけ家の床が汚れないように、犬が動いたら最初に居た位置に戻す、動いたら最初に居た位置に戻すを繰り返していたら、妻さんは僕が動物を愛でることができるお人柄になったと勘違いをしてとても喜んだのでした。

 

さびしかったら隣の人に声をかける。花がきれいだったら摘む。星が出たら見上げる。好きなものをたくさん食べる。ムラムラしたらパートナーを抱く。疲れたらぐうぐう寝る。そのために人の役に立つことをしてお金をもらう。妻さんはそういうことを毎日笑顔でやっていて、生きていて、くやしいけど隣で見ていてちっとも飽きないのである。

僕にはなんでそれがうまくできないのだろう。犬を撫でたり、花に水をやり続ければわかるのかしら、わかるんだろうけど、またこうやって言葉のなかでジタバタが続いている。

 

 

伝わる言葉

 

僕は病院で働いているので、今日と違う明日がいきなりやってきた人たちとよくお話をする。

 

なかでも脳の病気をした人たちは、言葉がうまく出せなくなっている人が多いから、そういう人たちとお話をすると、毎回泣きそうになる。

 

自分の思っていること、それをちゃんと理解して、それを言葉にして、相手に伝えるということがどれだけ価値のあることか、今日と同じ明日がまたやってくると思っている人たちにはよくわからない。

 

今日も40代のお仕事バリバリの男性が、半身の機能と言葉を失って僕の前に現れた。

「何か不安なことはありますか?」

「コドモ……」

そう言いながら、その人はたくさん涙を流した。

僕はちゃんと言葉を出せるはずなのに何も出てこない。言えるわけがない。

 

これまた脳の病気で入院して1ヵ月くらいリハビリをした50代の男性に、「今一番やりたいことは何ですか?」と聞いたら、

かあちゃんのメシ……」って笑いながら答えた。

あぁ女になりたいなと思った。

 

子どもの頃は、言葉の持ち合わせが少なくて、ずいぶんと泣いた。

今はあの頃よりもたくさん言葉を知っているはずなのに、まだ泣いている。

 

ダサくても、下手くそでも、伝わる言葉が、とにかく欲しい。

 

女装子歌劇団

 

新宿で女装子歌劇団の舞台を観てきました。

年明け一発目のブログで女装子歌劇団のことを書けるなんて今年はいい年になりそうです。

 

女装子歌劇団は『女の子クラブ』を運営する、くりこさんが立ち上げた30名の女装子からなるミュージカル劇団です。

歌劇団と聞くと、宝塚歌劇団を連想する方が多いかもしれませんが、僕みたいにいろいろと一回やり直した方がいい人間が聞くと、セガサターンの名作『サクラ大戦』の帝国歌劇団を思い出します。

中学生の時に『サクラ大戦』をプレイしながら、僕もいつか可愛い格好をして、人前で歌ったり踊ったりしてみたいなぁとか妄想していたんですが、女装子歌劇団の舞台を観ながら、あぁ僕のやりたかったことをまた先にやられてしまったなぁと思いました。

 

舞台に立っていた女装子の皆さんは、ほとんどがミュージカル未経験の方ばかりだそうで、それでも歌も踊りも演技もなかなかのものだったと思います。相当練習したんだろうと思います。物語も、テレビでよく見かけるオカマとかオネエの笑いを使えばもっと簡単にエンタメ作品を作れると思いますが、そういう笑いはほとんどなくて、真剣に死生観をテーマにした内容でした。

 

劇中歌のほとんどをメインで歌っていた、なおさんは本当に美しくてキュンとしちゃいました。素敵だったなぁ。クライマックスの独白のシーンでは、性別を超えた、腹がすわった人間だけが放つ美しさを感じました。こういう人になりたいと思える人に出会えて幸せでした。

 

それでも、彼女たちが本気でエンタメの世界で天下をとるつもりならまだまだ壁を乗り越えなきゃいけないんだろうなとも思いました。

日本の社会は本当に息が詰まるし、多様性なんて欧米に比べたら皆無同然だろうけど、とりわけエンタメの世界は、元から圧倒的に自由であるべきで、トランスジェンダーとか性同一性障害とかそういったタームは、逆に作り手と受け手の想像力を押し込めてしまう可能性もあるように感じます。

 

女装子さんたちしか見えない景色を、女装子という枠を超えて表現できたら、いろんなもんをぶっ飛ばすような作品ができるんじゃないかなぁとか考えました。

 

とかとか勝手に調子に乗っていろいろ書きましたが、要は女装子の皆さんに嫉妬しているだけなんです。

だってめちゃくちゃキラキラしていて、可愛かったんだもの。