痛い!

もうヒゲ脱毛に通い始めて2年以上が経つ。

今日も先程施術を受けてきたが死ぬほど痛い。

痛い痛い痛い。本当に痛い。

ネット上では全然痛くないって言ってる人もいて、おそらくそれは本当で感じ方は個人差があるんだろうけども私の場合はマジで死ぬほど痛い。

今日は平日の昼間の時間帯にもかかわらずめちゃめちゃ患者さんがいた。受付から施術、会計まで30分ほどで済んでしまうので、脱毛してランチして会社に戻るといった強者もいるのかもしれない。

しかしみんないったいどんなモチベーションでこんな苦行を続けられているのだろうか。

学生っぽい若者から管理職っぽいイケてる風のオジサンまで、みんな美意識高そうなのは共通しているけれども、年齢層バラバラな同士たちはどんなモチベーションで通い続けているのか。

私の場合は可愛くなりたい一点である。

今日もレーザーを照射されている間中ずっと目に涙を溜めながらエライザちゃんみたいになるんだエラちゃんみたいにエラちゃんみたいにと歯を食いしばりながら心中唱えていた。

看護師さんに「お痛み大丈夫ですか?」と問われ、震えながら「大丈夫です」と答えているけれども本当は全部さらけ出して「やだー!もー!本当に痛い!痛い痛い!おねーさん本当に痛いの!」「何を甘えてますの!あんたがきれいなりたい言うたんやろ!歯食いしばって耐えなさんな!」「でもやだやだやだ痛ーい!」「休憩しながらやったるさかい。頑張り!なるんやろ!エラちゃんみたいになるいうたんあんたやで!」みたいなやりとりを想像でもしないと本当に耐えられないの。

しかもあんまりヒゲが減ってないからって毎回看護師さんは「痛みは増しますがパワーが強力になる別の機械に変更されませんか?」ってニコニコしながら提案してくるんだけど、今の機械の痛みで鼻とか顎からルパンみたいに顔の皮めくられるんじゃねぇかっていうくらい痛いのにこれ以上痛くなったらたぶん失禁するし「エラちゃんエラちゃん!」って心の声も漏れちゃうよ。なのに「結構皆さん機械を変えたら効果が上がった仰られてますよ」とかサラッと言ってくる。

いったいみんなどんなモチベーションで戦ってるんだろう。ヒゲなくしたら単位もらえたり昇給があるとか私の知らないカラクリがあるのだろうか。

しかし痛い。とにかく痛い。でもエラちゃんになりたいから次も行く。でも機械は変えられない。頑張る。

Honesty is the best policy

性善説性悪説

人の親になると絶対性善説だと思う。

赤ちゃんは養育者に何をされようがすぐに忘れて、お腹がいっぱいなら微笑みかけてくれる。

絶対性善説

 

でも、

以前無茶苦茶高学歴な後輩と仕事をしていた時、

二人で完全にミスっちゃって、こりゃもう正直に先方に謝るしかないねって言ったら、いやいや謝ったら負けですよ。ちょっと待ってくださいね。そうだ、こうやったら揉み消せますよ。お客さんにはちょっと悪いですけど、こうすれば僕と先輩にダメージはありませんって、信じられないくらいの代替案を見つけ出した後輩に僕は感心した。

その時思ったけど人間は他人のためになることより己の保身のために動くときに信じられないほどに頭が働くみたい。

絶対性悪説

 

それでも僕はHonesty is the best policyを信じたいんだ。

女性に伝えたいこと

この国の男性はあまり言いたがらないので

わたしが代わりに言うけれど

わたしは学生時代にとある女性と恋に落ちて

いろいろあったけれども

その女性と結婚することができた

相手はどうか知らないが

わたしはその人がとことん好きで

たまらなく愛おしくて

この世界で本当に欲しいものを見つけて

手に入れることができて本当に幸福だった

そして少し前にその人との間に子どもができて

生まれてその子が目の前に現れて今も目の前ですやすや寝ているのだけれども

世界でいちばんかわいい

その子はわたしのいちばん好きな女性の顔にも

まあまあ好きな自分の顔にもよく似ていて

その子の瞳を見つめていると

この子に会うためにここまで生きたのだと確信すると同時にこの子を連れてきてくれた妻に一生をかけて感謝しようと思う

その子の瞳にできるかぎり美しい自分を映そうと毎日を誠実に生きることに決めている

 

この世界にはこの瞬間もたくさんの命が生まれているが

本当に好きな人との間に生まれてくる子どもはどれだけいるのだろうか

他のことは胸を張れないが

この子がわたしの本当に好きな女性との子どもであることだけは胸を張って言える

 

こう言うことをちゃんと女性に伝えないと

この国にも男性にも未来はないとわたしは思う

 

『推し、燃ゆ』 宇佐見りん

 

宇佐見さんの推しが燃えた話を読んで、私自身の推しの話もしたくなった。

宇佐見さんの推しの話の主人公あかりは学校も家族もバイトもなにひとつうまくいかない。

いろいろなかたちで現れてくる社会に対して、自分をうまく合わせることができない。

それでも推しだけには自分をぴったりと合わせることができる。

それはもちろん推しはアイドルという偶像であり、推しはあかりを否定しないからである。

推しとあかりの間にはステージと客席、イヤホン、スマホ、川など必ず境界線があり、それが現実とフィクションを分け隔てている。

この物理的な距離が推す推される関係においては必須なのだが、推しはそれを飛び越えてファンを殴ってしまう。

あかりはそんな推しをなんとか正しい距離に推し戻そうとするが、結局推しは人間に戻ってしまう。

私の推し、宇多田ヒカルはデビューからずっと人間を超越している。

出産という最も人間らしい行いを通過してもなお人間とは思えない。

彼女にはステージもスマホも必要ない。

才能という二文字できっぱりと我々を分け隔てる。

私はあかりと違って社会に自分を合わせるのが得意だった。

これをやっておけば弾き飛ばされることはないっていうラインみたいなものがなんとなくいつもわかった。

中の上くらいのレベルの戦いならちょっと努力するだけでいちばんにもなれた。

毎日つまらなかった。

上にも下にも突き抜けられない自分がくだらなくて、表現を始めた。

そして推しの凄さを知った。

例えば『スラムダンク』だって話が進むにつれて、絵も物語もどんどんうまくなるのに、宇多田ヒカルは『Automatic』も『Time』も一緒なんだもの。

私の推しが、私と同じように、目が2つで指が5本なだけで十分に嬉しい。

 

君を抱きしめよう

 

男だからって父親になんてなりたくない

なるべく家にいて

赤ちゃんのそばにいたい

 

そりゃ乳は出ないし

身体は角張ってるけど

心と気持ちは信じられないほど

丸くて柔らかいんだ

 

たしかに十月十日付き合ってない

つわりやお産もやってない

ただあのとき腰振っただけだし

そのあとはそれなりに仕事してお給料もらってたけど

結局全部あなた任せ

男は肝心なときになんにもできない

そとそと蚊帳のそと

 

もしも代われるなら

速攻代わってたよ

君がいるお腹を撫でながら

たくさんたくさんお話したかったな

夜道を一緒に散歩して

語りかけたりしたかったな

 

でも男で生まれたから

腰振るだけ仕事するだけ

 

とりあえず君を抱きしめよう

僕が父親なのか母親なのか

それとも違う何かなのか

それを決めるのは君だ

 

産まれてきてくれてありがとう

君のおかげでまた違う僕になれる

 

 

こどものしごと

 

児童養護施設で働いています。

児童養護施設とはいろんな事情で家族と暮らせなくなった子どもたちが生活している施設です。

僕はその中でもグループホームという一般的な一軒家で6人の子どもたちが生活している施設……というとなんか変な感じなんですが、その家に配属されています。

業務内容は本当に子どもたちと一緒に『生活』をすることで、料理、洗濯、掃除、宿題の見守り、幼稚園、学校への送り出し、遊び、外出、旅行とか全部やります。

仕事が終わって自分の家に帰ってきてもやることは大体同じなので、なんで仕事のときには給料がもらえているのかときどきわからなくなります笑

この仕事にはノルマというものはありません。

例えば子どもが志望校に入ることができたとか、片想いの相手に告白して付き合うことができたとか、バイトでお金を貯めて友達とUSJに行けたとか、それは子どもが出した結果であって職員が出した結果ではありません。

もちろんそれぞれの子どもに『自立支援計画』とか職員それぞれの想いはありますが、それと子どもの頭や心は別ものなのです。

じゃあなんでもありの仕事なのかといったらそれは間違いで、職員にとってひとつだけ絶対的な責務があります。

それは子どもたちの安心安全な暮らしを守ることです。

この責務が簡単なように見えていちばん難しいです。

 

さてさてお堅い話はこのくらいにして、このブログでは、子どもたちと日々生活をするなかで、いい意味でも悪い意味でも職員と子どもという親子よりも少し客観的な関係性だから見えてくる、子どもたちの本当に素敵なところを紹介していきます。

 

まず一つ目。

快晴で風が心地良いとある午後、近所のサイクリングロードのベンチで小4の男の子とゆったりアイスを食べていると、目の前を走り去っていくランナーの姿を見て男の子が一言、「またマラソン選手だ。頑張れー!」。僕は思わず吹き出してしまって、「あの人たちは選手じゃないよ。趣味で走ってる人たちだよ」と言いました。「へーそうなんだ。趣味ってなに?」「趣味は好きなことだよ。僕もよくここらへん走ってるよ」……みたいな会話。

これあとで振り返ってみたら、この子にしてみれば、サイクリングロード走ってるランナーも、こないだの東京マラソン日本新出した大迫選手も、同じマラソン選手なんだろうなって思いました。有名だとか、プロだとか、仕事だとか、趣味だとか、そんなのは大人が作ったもので、子どもにとってはただ走ってる人なんだなぁと。

 

もう一つ。

コロナ渦でなかなか外出ができない子どもたち。久しぶりにマックが食べたいというので、テイクアウトをすることにしました。スマホでメニューを見せながら6人分の注文をメモしていると、小2の女の子はハッピーセットを希望。6種類の中から付いてくるおもちゃは選べないようで、「あーこの笛のやつがいいなー。笛のやつが出たらいいなー」と何度も何度も言っていました。

30分後、買ってきたマックの袋を食卓に置くと、みんなハイエナのように群がりました笑。女の子はすぐさまハッピーセットのおもちゃを掴み、中身が見えないようになっている袋の上からおもちゃを触りながら、「えっ? うそ? 夢が、夢がかなうかもしれない!」と大騒ぎ。テンションが上がりすぎて、袋がうまく破れず、僕が手伝って開けると中身なんと笛!「かなったーーー!!! ほら私が欲しいって言ってやつ!ね!」と言いながら、ピーピー笛吹きながら、家じゅう二階まで走り回って喜んでいました。

夢って小さくたっていいんだなって女の子を追いかけながら思いました。あとマック最高かよ。

 

こんな感じでこれからも僕のこどものしごとの話、お伝えしていこうと思います。

 

 

 

 

愛がなんだ

 

好きな人が私のことを好きになれば

たぶん世界はうまくいくんだろうけど
好きな人は結局別の人を好きになって

その人は私の好きな人に全く合ってなくて
そんなこと言ったら私の好きな人も

私とは全然合ってなくて
好きな人に好きになってもらえるのって
愛なのか恋なのか
とにかく愛だの恋だの
それがなんだっていうんだ