人生30過ぎてからでしょう。

好きな本、映画、日々考えていること、気の向くままに書きます。

ハッピーバースデイ マイセルフ

 

実は今日が33歳の誕生日で、ゾロ目だからなんだか良いことが起こりそうな年だから、抱負みたいなことを書き残してみる。

 

33歳こそは自分の言葉を見つけたい。

これまでは自分だけの伝えたいことを無理矢理探して掘り下げて、それを他人の言葉で伝えていたような気がする。

おそらく自分だけの伝えたいことなんてこれっぽちもなくて、僕だけが知ってる知識も、僕だけが経験したことも、僕だけが投げかけられた言葉なんかも、そんなもんなんてどこにもなくて、でも、僕の頭と心と体が、このときはとっても心地良いっていう瞬間はちゃんとあって、その時に僕から出てくる言葉たぶん、良い。

それは伝える内容とか、受け取る人の状況とは全く無関係で、間違いなく僕だけのための言葉。

 

心地良くて青空に昇っていくような僕の言葉に出会うには、誰よりも僕を好きになって僕自身を解放しないといけない。

33歳はそんなふうに自分を大切に大切にしたい。

 

 

スキじゃない

 

あなたにちゃんとスキって言えなかったのは

 

それこそが僕のいいところで あとはぜんぶ悪いところで

 

SNSを見るぶんには今のあなたはたぶん幸せだろうから

 

あなたがまちがいなく読まないこのブログで 

 

その安心感から あなたへの気持ちをいまさら書くのです

 

あなたとの仕事も あなたとのデートも あなたとのセックスも

 

どれをとっても僕にとってはドキドキの連続で

 

だってあなたのことを全然スキじゃなかったから

 

そんな僕になったのは初めてだったから そりゃもうびっくりしたのです

 

あなたは僕に ありがとうとか スキとか キライとか 死ねとか いろいろぶちまけてくれたけど

 

僕はあなたになんにも言えなかった それはつまり あなたは僕にはじめての気持ちをくれたのです

 

僕はあなたを笑わせるのも 悲しませるのも 泣かすのも ぜんぶ楽しかった

 

スキじゃなかったからこそ あなたの顔 髪 体 言葉 匂い 仕草 料理 ぜんぶをちゃんと味わうことができた

 

あなたと一緒に行った美術館 一緒に聞いた曲 一緒に読んだ本 だいたい覚えているよ

 

僕もそれなりに幸せになった今 こうやってあなたのことを思い出し キュンとしているんだけれども  

 

あなたにはそんな時間はあるのかな 

 

例えば赤ちゃんが寝た後に やっと本を読める時間ができて そういえばあいつも本がスキだったなとか そんなふうに僕のことを思い出す時間なんてあるのかな

 

別になくても全然いいんだけど 僕にはあるから こうやってブログに書いているのです

 

あなただけにもらったこの気持ちをどうにか言葉にしようと 遠く遠く あなたから離れたこの場所で 僕は生きていて あなたも生きていることが 本当に嬉しい

 

 

『女になる』 田中幸夫

 

本気の映画でした。

この映画のレビューは、中途半端な気持ちじゃ書けませんね。

がっかりさせない期待に応えて素敵に楽しいいつも俺らを捨てます。

 

ネタバレあり。

 

 

まずはあらすじ。

主人公の中川未悠さんは物心がついた頃から、自分にちんちんがついていることに違和感を抱いている男性。

気持ちも身体も本気でぶつかることができない恋愛を繰り返しながら、社会人になるまでには絶対に女になろうと着々と覚悟を決めていきます。

映画は大学2年生の彼女が性転換手術を受けるまでの半年間が描かれています。

映画的な演出や展開なんてほとんどありません。

男が女になる。それだけ。

 

 そもそも、男に生まれた人間が、女になるというのは、神様が決めたことにあらがうことであり、それはお金とか時間とかルールとかそういった細々した人知を飛び越える、つまりは他人や自分を殺めたりする行為くらい、人間の世界では異質な行いなのではないかとか僕なんかは思います。

 

僕も昔から自分の性別に違和感を抱いていて、隙あらば女になりたいとか思っていた人間ですが、僕の「女になりたい」と、未悠さんの「女になる」には、「あー明日会社行くのやだなぁ。マジこんな仕事続けるくらいなら死んだ方がマシやなぁ」と「いま死にます」くらい切迫感が違うのです。なんというか己の生に対する切実さが半端じゃない。

 

未悠さんは映画の中で、恋愛はつまるところセックスであり、自分の大好きな相手を満足させられないことが耐えられないと話します。

そんな彼女は物語の終盤で、6時間にも及ぶ手術を行い、ついに男性とセックスができる身体を手に入れます。

僕みたいなあまちゃんだと、映画の間中ずーっと未悠さんが可愛いくて可愛いくて、彼女の幼なじみも「未悠は男性の姿をしていた頃から女性にしか見えなかった」って言うくらい、それはもう女の子で、仕草とか目線とか話す言葉とかぜんぶ本当に可愛いくて、神様にあらがってまで、身体を女にする必要なんて全然ないじゃないかとか思ってしまうのですが、たぶんそんなのはあまちゃんで、もうぜんぶ飛び越えても好きな人とセックスしたいっていうのが、男と女の真なのかなとか、未悠さんのとびっきりの覚悟を見て、僕はそう感じました。

 

神様が未悠さんを男で作ったことは、未悠さんにとって本当に本当につらかったことかもしれませんが、なんせ可愛いかったぞ未悠さん!以上。

 

 

A half year has passed in Tokyo

30過ぎてから東京で暮らし始めてもうすぐ半年です。

いちばん何が変わったかと言うと、車を乗らなくなったので、いつでもどこでも酒ばっかり飲むようになりました。

あとは街でも仕事でも若い人をよく見かけるので、30過ぎたらオッサンなんだなって余計に身に染みます。

 

東京って冷たいところだとか良く言われますが、僕なんかはとても優しいところだと感じています。

夢を持ってキラキラしている人には、上には上がいることを突きつけてくれますし、自堕落な奴にとっては、さらに下がいることで、更生の機会を先延ばしにしてくれます。

どんな人がやってきても、求めさえすれば、何かしら与えてくれるのが東京だなぁと感じています。

 

でもそうすると、あくまで受け身な僕みたいな人間は東京にいる必要はないんです。

ただなんとなく時計の針が進むのを待って生きているような人間には東京はうるさすぎるし、せますぎる。

新しいファッション、芸能人、スポット、グルメ、言葉、マジでうるさい。

電車も、バスも、歩道も、オフェスも、カフェも、図書館も、全部せまいし、だいたい席埋まってるし、マジ居心地悪い。

 

でも、東京に来て良かったこともあります。

それは毎日あれこれ考えながら、仕事して、買い物して、恋して、ご飯食べて、夜は寝てって、そんな風に自分と同じように生きている人がちゃんとたくさんここにいることを知ったことです。

 

たぶん東京に来る前より、人間のことを好きになれたような気がします。

 

これからどれだけ僕は東京にいられるかわかりませんが、自分のこと、そして人間のことをもっと好きになりたいと思います。

 

『乳と卵』 川上未映子

 

川上未映子、恐ろしい女である。

 

セカイとワタシの違和感を、自分だけの言葉で、カタチにした文句のつけようがない傑作である。

 

 

 

ネタバレあり。

 

 

 

 

この小説は、女が書いた女の小説である。

男である僕は、巻子とわたしの銭湯のシーンとか、わたしの生理の描写とか、緑子の女の大人のカラダになる葛藤とか、たいへん興味深く読んだ。

 

男が卒業アルバムを見ながら誰とヤリたいとか騒いでいる間に、女は生理を通して生命とか潮とか月と繋がり始めているのだから、そりゃ人生を惜しみなく楽しもうとするよね。

 

物語の終わりで、緑子は「ほんとうのことを言ってよ」と母である巻子に詰めよる。

おそらく緑子は自分が生まれなかった方がよかったと巻子に肯定してもらいたかったのだろう。

緑子は自分がヒトを産むことができるカラダになる前に、自分を全否定して、生きることの無意味さを証明したかったのだろう。

緑子のその思考こそ、実はほんとうのことなのだけれど、大人たちは、なんとか生き続けている日常のなかで、ほんとうに時々、楽しいとか美味しいとか悲しいとか嬉しいとか、そういった素敵なことが起こりうるから、それを経験して欲しくて、子供たちには、ほんとうのことを言わないんだけれども、それらも全部、女だからこそ、ここまでじっくりと、セカイのあれやこれやに面白味を抱くのであって、男である僕は、ほんとうに、生理とか、妊娠とか、お産とか、女だけのインシデントにひどく憧れてしまうのです。

 

夕涼み よくぞ男に 生まれけり

 

『女の子クラブ』

 

今週は新宿二丁目にある『女の子クラブ』に潜入してきました。

こんなふうに如何わしい催しやお店の潜入を続けていれば、潜入キャラが定着して、潜入捜査官と呼ばれ始めて、いつか西島秀俊さんとか伊藤英明さんみたいな素敵なバディができればいいなと思っています。

 

さて、『女の子クラブ』とは誰もが気軽に女装を楽しめちゃう新感覚コンセプトバーらしく、昇進して課長や部長になるよりも、女の子になりたいと常日頃から思っている僕にとっては、パーラダイスのようなお店で、可愛い「男の娘」のキャストさんもたくさんいらっしゃるらしく、とにかくずっとお邪魔したいと思っておりました。

そもそも女装とか男の娘とかニューハーフとかいろいろ名前はあるんですが、自分の性別に違和感を抱いている人が一体なにを求めているのか、そこのところは僕もよくわからなくて、例えば、単純に女の子になりたいのであれば、わかりやすくヒエラルキーの頂点に新垣結衣様を置かせていただくと、ヒゲとスネ毛まみれの僕は最下層で、その上に女装があって、さらにその上に男の娘がいて、またさらに上にニューハーフがいて、そこからすったもんだでガッキーになるということになりますが(なりません)、でもそんな単純なものでもないということは最近薄々わかってきまして、この世界の、この言葉にならないものを、肌で感じたく、今回潜入する運びと相なりました。

 

新宿二丁目は、ルミネの周辺や、歌舞伎町のような華やかな場所から徒歩15分ほど離れた場所にあり、それはそれは大変おぞましいところで、やたらと小さいサイズの服を召されたゴリゴリの男性たちが闊歩されていて、諸外国から来られたその筋の方もたくさんおられました。ゴミが散らかりカラスが蔓延る通りを進み、薄暗い路地に入ると、『女の子クラブ』が三階に入っているビルが見つかりました。そのときの僕の勇気はノミのように縮こまっていて、いったんあらよっとビルを素通りしてしまう始末でした。すると前から鬼のような図体の男性が、一人、また一人と現れてきて、僕は恐ろしくなって、来た道を戻りましたが、反対側からも、新たな鬼の大群が押し寄せてきたので、僕は逃げるようにビルの階段を駆け上がりました。そして呼吸を整え、顔を上げた先に『女の子クラブ』があったのです。お店に入るには、黒々とした重い扉を開けなければなりません。はたしてこんな臆病な僕に開けることが出来るのでしょうか。いや故郷の両親が汗水たらして僕を育てたのは、この扉を開けさせるためだったのでないか。逡巡したままビルの下を見ると狭い道路は無数の鬼で埋め尽くされていました。まさに地獄。時間は幾ばくもありません。僕は意を決して、扉を開けました。すると、なんということでしょう。可愛らしいピンク色のソファーがたくさん置かれた店内から、天女と見紛うほどの美しい男性が現れ、「いらっしゃいませ」と僕を招き入れてくれたのです。

 

天女は僕をカウンター席にいざないました。カウンターは6席ほどで、向こうからオッサン、女装オッサン、若い娘たちが二人、オッサン(僕)という並びでした。まだ開店して間もない時間帯だったようで、ソファー席はほとんど空席でした。BGMはまたしてもジュディマリでした。

「男性はチャージ3000円で、朝5時まで遊べます。向こうにある衣装とかウイッグとか全然使っていただいて結構です。今日は女装されますか?」と天女は殿方の話し方で言いました。「はい…できるならやりたいです」一週間ぶりに発話したかのようなか細さで僕は答えました。「まぁ飲みながら考えてください。テンション上がったらやっちゃいましょう。女装は初めてですか?」「あっ、あのう一度だけ…」「じゃあ自分でやれます? キャストがメイクするとメイク代で4000円かかっちゃうんですよ」「はぁ」「まぁ飲みながら考えてください。テンション上がったらガンガンやっちゃいましょう」

僕はこれまで飲みながらいろんなことを考えてきましたが、まさか自分が女装するか否かを飲みながら考えることになるとは思いも寄りませんでした。

「こんばんは!」突然、隣の娘①が話しかけてきました。こうした女性の社交性の高さに僕はいつだって畏怖の念を抱くのです。「今日はどうして来たんですか?」そしてこうやっていちばん説明しづらいことを簡単に尋ねてくる女性に憧れさえ感じてしまうのです。

僕は常套手段である質問返しを試みました。「あっ私たちはテレビでココ知って、可愛い男の人見れたら目の保養になるかなぁって思ってきたんです。ねー」「ねー」目の保養になるのは雄大な自然ばかりだと思っていた僕は、女性という生き物の好奇心の旺盛さに圧倒されました。「お兄さんも女装やったらどうですか? 似合いそう。ねー」「ねー」自分がまだこの世代からお兄さんとしてカテゴライズされることに安堵し、「そうですね」と頷いてしまいました。するとカウンターの向こうでお酒を作っていた天女が、「よっしゃ、やりますか。メイクどうされます?」と言い、娘たちを見ると「やるよねー」「ねー」と言うので、テンションガチ上げのつもりでガンガンやることにしました。

 

「じゃあまずこちらで顔を洗ってきてください」と通された所には、洗面台があり、洗顔料とT字カミソリとシェービングジェルが置かれていました。僕はそこで顔を洗い、憎きヒゲを根こそぎ剃り落としました。少し血が出ました。

カウンターやソファー席の奥にある化粧スペースに向かうと、天女が待ち構えていて「ここから好きな服を選んでください」と言いました。そこにはありとあらゆる女性の服が吊るされていました。「奥の方はコスプレっぽいやつが多いっすね」僕の唯一の個性が優柔不断な所なので、このままいくと日が暮れてしまうと思い、えいって手を伸ばした先のものにしようと、えいっと手を伸ばすと、奥の更衣室から頭にネットを被った梅沢富夫さんみたいな人が丁度出てきたので、手は梅沢富夫さんの肩に当たりました。「あっすいません」「いえいえ」

結局一生着ることがなかろうと、メイド服を選びました。梅沢富夫さんはあっという間に女性になって羽ばたいていきました。

 

天女にされるがままになっている間、いろんな話をしました。ひざを突き合わせて僕の顔を弄ぶ天女の真剣な顔は本当に美しくてドキドキしました。

「女装のいちばんの敵はヒゲなんですよね」「はぁ」「実はこれ舞台用のファンデーションなんですよ。これならばっちり消せますから」「お姉さん全然ヒゲないっすね」「あっ私? 私あれやってるんですよ。レーザー脱毛」「あれって痛いんですか?」「痛いっすよ。なんだろうな…輪ゴム全力で伸ばしてバチンって当てるのをヒゲ一本一本にやる感じっすね」僕はレーザー脱毛はやらないことにしました。

 

清楚なメイドに変身した私はカウンター席に戻りました。

「お兄さん可愛いー、あっお姉さんか」「横顔とかマジやばくない」「やばい」娘二人が私の顔を見るなり、褒め称えてくれましたが、それほどの代物ではないことは自分自身が重々感じておりました。ウイッグを被った時点では、あらやだ素敵かもと一瞬思いましたが、キャストの方々と比較すると雲泥の差、目の前の天女いたってはそれはもう殿上人でいらっしゃる。私は自暴自棄になり、娘たちからの問い掛けに饒舌になっておりました。

「なんで女装しようと思ったんですか?」「女の人が好きすぎて、女の人になりたいと思うようになったのよ」「好きなのはわかるけど、なりたいはよくわからないですね」「じゃあ、あなた好きな芸能人いる?」「綾野剛」「綾野剛のこと真剣に考えると、綾野剛になりたいって思うでしょ」「飛躍しすぎでしょ」「ウケるー」こんな小娘たちでは私の繊細な気持ちは理解できないと判断し、天女に助けを求めました。「お姉さんならわかりますよね。好きな女優さんとか見てると、その人みたいに綺麗になりたいとか思いますよね」「うーん。私は私の可愛いを突き詰められればいいかな」なぬー!なんて素敵なお言葉、あざますー!「じゃあお姉さん、もう一つ伺います。もしですよ、もしガッキーと一日デートできるとしたら、男か女どっちの姿で行きますか?」「ガッキーなら余裕で男でしょ」どういうこっちゃー!

「どっちの姿で行くとかマジウケるんだけど」と笑いながら娘たちはお会計を済ませ、「お姉さんまたねー」と帰っていきました。

気が付くと店内は、ほぼ満席で、男とか女とか女装とか男の娘とかそんな言葉では溢れてしまうような、なんというか欲望みたいなものたちがうごめいておりました。そこにはヒエラルキーなんて存在しなくてそれぞれの好きのかたちがあるだけでした。

終電の時間が近づいてきました。

つけまってどう外せばいいんだろう。

最後にそれだけ、天女さんに伺おうと思いました。

 

 

『あのこのあしうら写真展』

 

東京、東日本橋で開催された『あのこのあしうら写真展』なるものを観てきた。

 

東京に来て約4ヶ月、何ひとついいことなんてなかったけど、あのこのあしうらだけを集めた写真展を拝むことができる日がくるなんて、東京マジ半端ない、である。

 

「やばい星野源マジ最高なんだけど」って言うのと同じように、「やばいあしうらマジ最高なんだけど」って言えたらどんなに素敵だろうと思う。

 

そもそもの僕は足が大好きで、それがないとみんな生活できないはずなのに、臭いとか、こっちに向けないでとか、いつだって足は虐げられる存在で、胸とかお尻に比べてたいそう可哀想な扱われ方をしている部位なんだけれども、僕の足に対する偏愛をこれ以上言葉にしたら、ただでさえ少ない読者の方を手離すことになりかねないので、「足って結構素敵なかたちしてますよねー」で終わらせておきます。

 

『あのこのあしうら写真展』は、四畳半くらいのスペースに、3人の女の子の様々なシチュエーションのあしうら写真を100枚ほど並べた展覧会で、会場にかかってるBGMは何故かジュディマリでした。

 

入場前に何故か靴を脱がされて、足つぼマットを踏まされながら入場料を払いました。

僕が入ったときは、他に5人くらい男性の同志たちがいて、みうらじゅんさんよろしく「どうかされましたか?」って警察の方に職質されそうなビジュアルの方もいましたが、普通に合コンで現れたら、連絡先聞いちゃおうかしらと思うようなイケメン男性もいて、へーあしうら好きの殿方って結構おるんやねって、僕も胸を撫で下ろした次第でございます。

 

あしうらっていうのは、それだけで魅力的に写る代物ではなくて、セーラー服とあしうらとか、メイド服とあしうらとか、はたまたブランコとあしうらとか、助手席からのあしうらとか、様々な要素と相見えた上での芸術であることを撮影されたキャメラマンさんは重々承知の助で、僕なんかは一枚一枚に目をやりながら、心のなかで「あざますーー!」と叫んでおりました。

 

受付にはなんとそのキャメラマンさんがいらっしゃって、僕なんかよりも、もっと己の癖に対して誠実でいらっしゃる諸先輩方が、キャメラマンさんと「いやーほんとに奇跡のあしうらですね」等と、あしうら談義に興じておりました。

 

キャメラマンさんが、「実はもうすぐ、写真のモデルになった女の子がココに登場しますよ」なんて言うもんだから、諸先輩方は鼻をふがふがさせ始めて、僕なんか新参者は、やだー、こんな狭きところでモデルさんとキャメラマンさんと諸先輩方と一緒なんて、相当やだー、と思ったのですぐに靴を履いて、退散いたしました。

 

もしあのまま会場に残っていたら、僕は諸先輩方と共に、中島誠之助さんよろしく「いい仕事してますねー」とモデルさんのあしうらを眺めていたかもしれません。

 

僕が越してきたこの東京という街は、ともすると僕に「行けるところまで行こうか」と猿岩石さんみたいに誘いかけてくる街でございました。

あーおぞましい、それでいてなんと素晴らしい街でありましょうか。

 

女性のみなさん。何かと露出が多くなる夏、気をつけなはれや!