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人生30過ぎてからでしょう。

好きな本、映画、日々考えていること、気の向くままに書きます。

『何者』 朝井リョウ

本のこと

 

三浦大輔さんが監督した映画がとても素晴らしかったので、朝井リョウさんの原作小説もすぐに読みました。

 

「あなた、何者?」

 

おそらくだれもが避けて通りたい質問じゃないでしょうか?

この質問から逃れるために、みんな天気予報を確認したり、美味しいものを食べたり、こじゃれた服を着たり、面白いドラマを観たりして、話題を増やしているんじゃないかと思います。

 

数年前、僕にも降りかかった就活ですが、本当に地獄でした。

自分のことを自分で営業するなんて、シャイボーイの僕にとっては、鏡の中の自分とずっとにらめっこをしているようなものでした。

グループディスカッションや集団面接のときは、きまって頭がボーっとして、とあるお笑い番組の大好きなシーンに、ひらひらと逃避していました。

 

キャー!

どっ、どうしましたか?

この人、変なんです……

何だ君は?

何だチミはってか? そうです。私が変なおじさんです。変なおじさんだから、変なおじさん♪

 

高校時代、男の子は仲間内で夢を語り合うもので。

僕はお笑い芸人になるって言ってたし、Tはオシャレさんだから自分のショップを持ちたいって言っていたし、Rは勉強ができたから弁護士になりたいって言ってたし、Jは真面目だから学校の先生になりたいって言ってたし、母親だけに育てられたYは「なりたいもんなんてなんもねぇ」って言ってた。

 

数年後、Jは念願の先生になった。

Jだけが何者かになった? じゃあTやRやYはいったい今何なの?

もしかするとTやRは何者かになるまでの途中なのかもしれない。

じゃあYは死ぬまで何者にもなれないの?

 

数年前、僕は久しぶりにTと会って、芸人になることはあきらめて、次は小説家を目指すと宣言した。

「芸人がだめなら小説家か……お前らしいな」

お前らしいって……少しムッとしたけど、たしかに僕らしいと思った。

 

『何者』には人によってそれぞれ解釈があると思うけど、僕にとってのそれは夢の自分だ。

だから僕は、まだ何者にもなれていない。

 

村上春樹がノーベル文学賞をとる前に

日々のこと

 

もうすぐノーベル文学賞の発表です。

この時期になると何かと話題になる春樹さん。

本好きが集まって、どの作家が好きかって話になると、なぜか名前を挙げにくい春樹さん。

スウェーデンの会議室でもそんなふうに名前を挙げづらいのかしらん。

 

もし賞をとってしまったら、さらに春樹さんの話をしづらくなりそうなので、今のうちに。

 

僕の一番好きな作家は村上春樹さんです。

一番好きな作品は『海辺のカフカ』です。

 

海辺のカフカ』を読んだのは大学3年生で、就活する前に海外にでも行っとこうと思ってニューヨークに一か月住んで、帰国した頃でした。

春樹さんの二冊で1500円の小説は、バイトで貯めた100万を全部つぎ込んだ僕のニューヨークの一か月間を、軽く超えてきました。小説は事実より奇なり……かも。

 

春樹さんの物語の主人公はまさに僕のことだと思いました。

これまでどんな物語の主人公にも感情移入しづらかったのに、これは僕のことを書いていると心から思いました。そして就活なんて放っておいて彼の作品を全部読み漁りました。

僕は友達に村上春樹って知ってるかと聞いてみました。みんな知っていました。

そしてみんな僕と同じように自分のことを書いていると言うのです。

僕は絶望しました。

自分のことを特別だと思っていたのに、僕は圧倒的に多数派だったのです。

それと同時に、希望を抱きました。

世界中の人が同じかけらを持っているんだと。

 

それからたくさん小説を読んできたけど、いまだに『海辺のカフカ』より面白い小説には出会っていません。

ただ、自分で小説を書いているときは、小説を読んでいるときよりも面白い瞬間があります。

村上春樹さんは、僕を読む側から書く側に変えてくれた人。

恩人と言えるように頑張ります。

 

青山七恵から柴崎友香、からの宇多田ヒカル

日々のこと

 

青山七恵さんの『かけら』という小説を読んでいたら、僕だってちょっとした小説が書けるんじゃないかと勘違いしてしまった。

それは青山さんの小説が、ほんとうに何なら今週末にでも経験出来そうなほんとにほんとに平凡な日常のことを書いているからだ。

むかしむかし、映画好きの親父に、周防正行監督の『shall we ダンス?』を観せられて、ドヤ顔されて、「コレの良さが分からんうちはまだまだ子どもやの。誰も死なんし、ピストルも爆発も出で来んけど、こんなに面白いんや」(多分実際の言葉はもっとダサい)みたいなことを言われて、その時はこいつダンサーと浮気でもしたいんちゃうかとか疑って、やだお父さん薄汚ーいって心の中で思春期爆発したけど、今なら親父の言ったことの意味がよく分かるし、少しだけ自分で小説を書くようになって、誰も死なんし、ピストルも爆弾も出て来んのに、人がお金と時間を使ってくれるモノを作る難しさも、少しだけ分かる。

 

文庫本の『かけら』では柴崎友香さんが解説をしていて、青山さんの小説はカメラみたいで、切り取った現実に少しだけ違和感を与えると書いていた。柴崎さんも同じように日常を書く作家で、芥川賞受賞作の『春の庭』は近所にある気になる家のことを書いた作品だけど、読みながら僕もむかし友達と近所の空家(後で分かったが八百屋の倉庫だった)に忍び込んで、置いてあったジュースを勝手に飲んでいたら警察に捕まったなぁとか思い出した。僕の補導された過去はどうでもいいが、柴崎さんの文章に導かれて、忘れていた記憶がありありとよみがえり、また少し自分の現実が色濃くなった。

 

二人の手にかかると日常が作品になってしまう。多分二人にとって『小説』というのは動詞であって、フォトグラファーがカメラで撮影するみたいに、何かで対象を『小説する』ことが出来る能力を持った人が小説家なのかもしれない。じゃあ何で『小説する』のか。文章か、目か、作家性か。多分その全部が必要で、それ以外にも必要なものがまだまだたくさんあるのかもしれない。

 

そんなことを考えながらもやもやしていたら、ハイパーメディアクリエーターの妻が宇多田ヒカルちゃんの8年ぶりのアルバムとモンゴル800の新アルバムを買って帰ってきた。

ちなみに妻はモンゴル800が大好きで、こないだ一緒にライブに行ったら、終了後、出待ちするとか言い出して、出てきたチンピラみたいな清作に「清作さんハグしてー!」とか言って抱きついていた。ドンウォーリービーハッピー。

 

今僕の目の前にヒカルちゃんが現れたら、僕は多分、ど緊張して、胸が高鳴って、その鼓動を利用してtravelingくらい歌い出してしまうだろう。

ヒカルちゃんは僕にとって、ほぼ神か天使だ。

映画好きの親父の死に目には、ヒカルちゃんがいる時代の世界に呼んでくれてありがとうと言うだろう。『shall we ダンス?』もよかったよ。

そのくらい僕にとってヒカルちゃんは最強だ。

 

ヒカルちゃんの新アルバム『ファントーム』については、これからいろんなひげもじゃのおじさんたちがいろいろ語るだろうから僕が何か言う必要はないかもしれないけど、一言だけ言わせてちょうだい。

一曲目の『道』。私の心の中にあなたがいる ってサビに入ってくるところ!なんじゃこれ!ズボンの腰のひもが片方しか出てないこと発見して、なんとか爪使ってくにゃくにゃもう片方出してきて、両方持ってぐーんて引っ張ったときくらいの気持ちいいサウンドやん!ヒカルちゃんの声、ほとんど楽器やん!

てな感じで語り出したら取り乱しちゃうんですが、ヒカルちゃんの才能の前には、残念だけど、人の一生くらいの努力では全然歯が立たないのです。

青山さんと柴崎さんが退屈な日常を美しい作品にする魔法使いなら、ヒカルちゃんは気まぐれに私たちの日常に降りてきて、今まで味わったこともないスイートなアメちゃんをそれって投げつけてくる、アンプレディクタブルキャンディースローエンジェルなのです。

 

もし僕が将来有名な小説家になってヒカルちゃんと対談することがあれば、その時には、カメラが回る前に、「ヒカルちゃんハグしてー!」って抱きつこうと思います。

 

『君の名は。』 新海誠

映画のこと

 

※ネタバレあり

 

 

映画でも、本でも、観たり読んだりする前にレビューを必ずチェックしちゃうつまらない僕なんだけど、『君の名は。』のレビューは本当にいろんな世代の人が書いていて、それを読むだけでも楽しかった。

 

実際に映画館で観た『君の名は。』には、数多あるレビューでは全然書き表せないモノがちゃんとあって、なんというか、小説家志望の僕としては、ひどく嫉妬した。

 

「ずっと探している何か……」っていう感情がたぶんこの作品の核になっていて、それは僕たちみんなが日々抱えて生きているものだ。

それは何なのか、人なのか、場所なのか、よく分からないんだけど、ずっと胸に引っ掛かっていて、それが都会や田舎の風景とか、友達との日常とか、迫りくる彗星とか、RADWINPSの音楽とかで徐々に晴れて、澄んで、透き通っていく。

 

やっと見つけた主人公のつっかえは、「君の名前」であり、彼はそれをありったけの声で叫ぶ。とっても切なくて、温かくて、そりゃ涙が出ちゃうよ。

でも、僕たちのつっかえは、最後まで何だか分からない。主人公と一緒にスッキリしたつもりになって映画館を出たけど、一つ目の角を曲がる頃にはまた探し始めている。

 

大人になるっていうのは、そのつっかえをごまかして、見て見ないふりをしながら生きていくことなのかもしれないけど、みんな本当はその答えを知りたいというか、映画の主人公みたいに、そのつっかえに向かって全力で走りたいんだ。

君の名は。』はそんな映画でした。

 

 

あぁ、焦ります。僕はどんどん大人になっている。言葉や考えが、つまらなくなっている。

あぁ、どうしたら僕も新海さんみたいに、あんなふうに飾らず大声で叫べるのか。

映画館を出ていく一人ひとりの表情が、僕を焦らせ、駆り立てる。

 

 

男と女の違いについて

 

男と女の違いについて考えることは、僕にとってお金を稼ぐことより重要なことであり、たぶん死ぬまでその答えは出ないし、出なくていいような気もする。

 

僕が知りたいのは、身体や生物学的な違いではなく、社会学的な違いでもないところにある男と女の違いだ。

 

最近、山田詠美さんの小説を立て続けに読んだ。

時々、無性に女の作家の小説を読みたくなる。

頭で書いていない感じがするからだ。

山田さんの小説は本当に胸をざわつかせる。とても静かに、そして相当おちゃめなやり方で。

女の子がみんな、山田さんの描く女の子みたいに恋をするなら、僕も女の子だったらよかったのになぁとか思ってしまう。

男だって恋をするけど、たぶん女の子の方がそれを数倍楽しんでいるんだろうなって妬む。

山田さんだけでなく、吉本ばななさんとか江國香織さんの小説を読むとそれがはっきりとわかる。恋が楽しくて、そして悲しくて仕方がないからあんな小説が書けるのだ。

たぶん、僕が美しい女性を見たときに触れたくなったり、匂いを嗅ぎたくなったりする気持ちとか、恋をしている女性が見せる信じられないくらい多彩な表情を一つも見逃さないように見つめたくなる気持ちとかそんな気持ちを、何倍にもして抱えて、女の子は好きな男の子のそばにいるんだろうなとか想像すると、また女の子だったらよかったのになとか羨んでしまう。

 

でもおそらく、男にしか味わえない感情もあるんだろうなと思う。

例えば、殴り合いをしている時とか、殴り合いを見ている時とか、たぶん、女の子には想像できないくらい、男は動物的で、暴力的で、真剣に相手のことを消してやろうと思っている。これはたぶんすごい感情だと思う。

他にも、男は本気で世界をひっくり返せるとか思う日もあるし、本気で死にたいとおもう日も多々ある。

 

こういった心の働きの違いはどっから湧き出てくるんだろう。

後天的な環境が左右するなら、僕なんかはとっくに女の子だ。だって普通の女の子より恋でたくさん泣いてきた自信があるもの。

たぶんどこか別のところに秘密があるんだろう。

身体の中にあるのか。

そういえばセックスをしている時は圧倒的に自分が男だと感じる。

頭の中にあるのか。

言葉を使うときも、否応なしに自分が男だと感じる。

いちばん曖昧なところはどこだろう。

 

僕は何とかして、心の奥底に降り立って、男と女の違いの秘密みたいなものに迫りたいなと思う。

だってそれだけが唯一、現実の命でやる価値がある気がするから。

それ以外の経験なんて全部、数多ある小説に任せればいいんだから。

 

 

本田のスルーパスからの長友のダイレクトクロスを岡崎がダイビングヘッドで決めたら一億円

日々のこと

 

9月1日から、サッカー日本代表のロシアW杯アジア最終予選が始まる。

ぜひ6大会連続の本戦出場を決めて欲しいものである。

 

サッカーが始まると、世界で一番優しい夫であるはずの僕が、嘘のように亭主関白になって、ハイパーメディアクリエーターである妻を怒らせてしまう。

自分でもどうしてそうなってしまうのか解せないのだが、妻がキッチンでトントントンとやりながら「ねぇ、飲み物何にする?」とか聞いてくれているのに、僕はテレビに向かって「よっしゃー、本田!行け!お前の全てを見せてみろ」、「真司!いったい何をやっているんだ、本当のお前はそんなもんじゃないだろ」、「長友!お前は何のためにイタリアに渡ったんだよ、世界一のSBになるんじゃなかったのか」とか喚き散らし、普段であればその後妻が運んで来てくれた食事を「うんまい、うんまい、お前さんはすごい!まさにうちの鳥越シェフだよ、あれ?それは都知事になれたかった人かな」とか褒めながら一口ごとに妻とハイタッチして食べるのに、サッカー観戦中になると、それらの料理に目もくれず、「オカザキーーーーーーー!」とか叫びながら、ただ食材を箸で突き刺し、機械的に口に運ぶだけなのである。

とある試合終了後に、妻から「サッカーのどこが面白いの?」と聞かれた。

僕には「なぜ赤信号は渡っちゃいけないの」とガキんちょが戯言を抜かしたように聞こえたので、口を開いたまま天井を眺めて阿呆を演じていた。

妻は続ける。「全然面白くないんだよね。点数ちょっとしか入らないし。オフサイドとか何それって感じだし。だいいち、なんで足でやるの? お行儀悪くない?」

僕の頭には初めて『離婚』の二文字が浮かんだ。

というのは言い過ぎだけど、その後一生懸命、本田のスルーパスからの長友のダイレクトクロスを岡崎がダイビングヘッドで決めることが、宝くじで一億円当てるくらい奇跡のような出来事であるということを長々と分かりやすく丁寧に、スマホをひゅいひゅいとやりながら聞いている妻に説明したけど、ちっとも理解してもらえなかったので、悔しいので、この場を借りてもう一度説明させていただく。

 

まず、眩しいくらいに青々としたピッチの上に本田圭佑が日本代表のユニフォームを着て立っている。

この姿を見るだけで僕くらいになれば目頭が熱くなってくる。既にハイボールをあおっているなら泣いてしまっても仕方がない。

本田の後ろには本田を目指してサッカーを続けている何万人もの無名な選手たちがいる。

本田の前には本田が憧れた、中田やカズなどたくさんの有名な選手たちがいる。

それら全部を背負って本田はピッチに立っているのだ。

 

本田が相手のボールをカットして、左サイドを駆け上がってくる長友に絶妙のスルーパスを送る。

もちろん本田がボールをカットする相手選手も、本田と同じくらい有名無名の選手の想いを背負っている。そんな選手が簡単にカットされるはずがない。カットというのはミスや油断からくるものである。国の代表が平常時にミスや油断をするはずがない。本田は経験と綿密な準備によって相手のミスや油断を誘うのである。

 本田がボールを奪う。奪われた選手が取り返そうと本田の脚にスライディングする。日本中が「おい!ファールだろ!」と叫ぶ。だが本田は倒れない。

中田英寿より以前の選手はここで倒れてファールをアピールしていた。元ヴェルディ川崎の北澤とかはウェービーロングヘアーを揺らしながら「イタイヨイタイヨ勘弁してヨ。アミーゴ」とか言っていた(はずである)。しかし中田という選手はそこで倒れていては世界で通用しないことを日本サッカー界に身をもって伝えた。

ちなみにアスリートの脚と脚が本気で衝突するというのは石と石が当たるようなものなので条件が整えば、最悪の場合、出火する。僕も高校生のとき、球技大会で、バスケ全国大会優勝チームの選手とリバウンドで争ったことがあったが、その選手に横からぶつかったとき電信柱かと思った。アスリートの身体はほとんど石である。

 

体勢を持ち直した本田は、絶妙のスルーパスを長友に送る。それはまさに針に糸を通すように、全力で駆け上がってきた長友の左足だけに届く。必死で追い付いてくるディフェンダーを横目に長友はトラップやめ、ダイレクトでゴール前にボールを折り返す。

ここでトラップしていては、無論相手に追いつかれる。いったんトラップして相手をドリブルで抜いてクロスを上げる方法もあるが、その場合ゴール前にディフェンダーが戻る時間を作ってしまう。勝負は一瞬。本田もそれをイメージしてダイレクトで上げるしかないギリギリのところにボールを送る。

ちなみにサッカーは一試合に約11キロくらい走るらしい。僕もマラソンが趣味で一日おきに11キロくらい走っているが、僕の場合は、あらあらあのお花キレイだね、あらあらあの車に乗ってるお姉さんキレイだね、という具合のあらあらランニングだ。しかし長友の11キロはそのほとんどが鬼の形相でのダッシュである。

おそらく長友はサッカーを始めてから正確なクロス上げるための練習を一億回くらいやっているだろけど、そのほとんどがこの一瞬のシーンより蹴るのが楽な状況なのだ。10キロ近くダッシュを続けたあげくに、これまでで一番強いディフェンダーを相手にしながら、かつ一番厳しく、そして日本中の期待を一身に背負ったパスを本田が出してくる。長友はそれを、岡崎の頭だけに確実につなげなければならない。そのために彼はイタリアに行ったのである。

一方の岡崎はずっと仲間を信じて、ただひたすら走り続けている。彼はディフェンスもやるフォワードなので、ピッチのほとんどの範囲を走る。前後半90分、全力でゴール前に戻り続けても一度も正確なパスが回ってこないかもしれない、それでも彼は絶対に来ると信じて走り続ける。本田なら、長友なら、絶対にクロスを上げてくれる。彼はサッカーを始めたその日から、ずっと仲間を信じてきたのだ。誰もいなくなったグラウンドで、つながってきたパスは絶対に決めてやろうと誰よりも愚直にシュート練習をしてきた人なのだ。

本田も長友も岡崎も、天才ではなかった。

みんなチームメイトの誰よりも足が遅く、シュートが下手くそだった。

「おまえみたいな奴がJリーガーになれるかよ」

3人ともそう言われ続けて、そしてそれをはねのけてきた。

3人より上手かったやつがどんどんサッカーをやめて、そいつらより上手い仲間ができて、またバカにされて、今度はそいつらもやめて……そんなことを繰り返していたら3人は日本代表として出会うことになった。

本田なら絶対パスをくれる。長友なら絶対クロスを上げてくれる。岡崎なら絶対決めてくれる。

この1点というのは日本でいちばんサッカーが好きな3人の笑えるくらいに純粋な信頼の形なのである。

 

岡崎の頭から放たれたボールが、キーパーの手をかすめてゴールネットを揺らす。

その瞬間僕は立ち上がり、涙を流して叫ぶ。

「オカザキーーーーーーー!」

僕は妻に駆け寄る。「見た? 今の岡崎、見た?」

「あ? よっしゃー! ゼニガメ、ゲット!」

ゼ、ゼニガメ? 

ゼニガメやるやん。岡崎、さらに頑張ろうか。

 

誰か、僕にポケモンGOの面白さを説明してください。

 

恐怖のモデルカット

日々のこと

 

先日、モデルカットなるものを経験した。

街で偶然イケメン美容師に声を掛けられて、可愛いからお店のホームページの写真に使わせて欲しいということで、キラッキラにしてもらった……というわけではなく、妻の知り合いの美容師の卵がスタイリストとしてデビューするためには事前に生身の人間を50人切りしなければならないらしく、その女は、まず妻の髪を切り刻み、震える彼女の頭を鷲掴みにしながら「髪の生えている奴なら誰でもいいからあと3人連れてこい」と脅したらしく、髪も心もボロボロになって帰宅した妻は、泣きながら僕に「どうかお前さんも生贄になってくれないか」と懇願してきた……つまりはそういうモデルカットだった。

 

そもそも僕は美容室が嫌いだ。何故なら昔から自分の性別に違和感があるため、髪型とか服装とかは基本的に放っておいて欲しいのだが、美容室に行くと、必ず薄汚い男ばかりが載った雑誌を渡され、その中から希望のスタイルを選ばなくてはならないからだ。

僕は一応ページの中に井川遥知花くららを探してみるが、見つかるのは大体、所ジョージジローラモで、僕は渋々井川遥を諦めてジローラモになるのだった。

そしてその惨劇を目の前に備え付けられたオーロラビジョンならぬ大きな鏡でずっと目に焼き付けなければならない。雑誌を読めばいいではないかと思うかもしれないが、カットが始まると、僕と外界を鮮明に繋ぐメガネはいつもスタイリストによって奪われてしまうのだ。

 

こんなふうに僕にとって散髪という行為はいつだって拷問みたいなものなのだが、今回のそれはさらにスリリングなものだった。何故なら妻を瀕死の状態にしたその美容師の卵は恐ろしくダサい女だったのである。

僕がこれまで暮らしていた世界では美容師という人種はそれなりに美しさにこだわりを持っているはずだったが、目の前に現れた女は、ひとクラスに必ず2人くらいいる、オタク系の女で、雑誌はスウィートやノンノはおろか、ミョウジョウすら読まず、公募ガイドくらいしか手に取ったことが無さそうだった。女は誤って3回くらい踏んだことがありそうな銀縁メガネの位置を気にしながら(鼻の高さがほとんど無いからだ)、「今日、どんな感じにしますか?」とぬかしてきた。右手でいっちょまえにハサミを構えていたが、ガーデニング女子の方がまだマシだと思った。

女は僕の髪をこねくり回しながら「かなりのびてますね。バッサリやっちゃいます?」と言ってきた。「あっさり殺っちゃいます?」と聞こえた僕は身の危険を感じ、雑誌を持ち上げ、とっさに「これでお願いします!」と言って指差した先には所ジョージが単車に跨っていた。「所ジョージですか? カラーリングは別途料金を頂くことになりますけど?」「あっカラーは結構です」女の中にカラーリングという語彙があったことがわかって少しほっとした。

 

どこかで、人間は視覚からの情報が9割と耳にしたので、僕は目を閉じた。

そして安らかな眠りが僕を包み込んでくれることを心から期待した。

女の指が僕の髪に絡みつき、ハサミを入れる気配がする。

「ジャキ、ジャキ、邪気」

女がハサミを使っている間、僕は砂利を食しているような錯覚に陥った。

このままだと死んでしまう。流れを変えるべきだ。変えよう。流れは自分で引き寄せるもんだって、スラダンの宮城も言ってたさ。

僕は勇気を振り絞って核心から突く。

「何で美容師になろうと思ったんですか?」

「え?」

「だから、何で美容師になろうと思ったんですか?」

「え?」

僕は、30年以上愛用し、しかも他人よりも少し上手に扱えているんじゃないかと自惚れていた日本語の語彙や文法表現を真っ向から疑った。

「すいません。切るか話すかどっちかしかできないんですよ……。話します?」

「いえ、切ってください」

 

目を開けると、所ジョージでもジローラモでもない、シメジメオとでも呼ばれそうなキノコ頭の男が椅子に腰かけていた。

「そろそろ終わりますか?」

「え?」シメジメオは耳を疑った。

そろそろ終わりますか? そう言ったのは、ほかならぬ卵女だった。

まさか俺が終わりを決めるのか。何て斬新なカットなんだ。

ジメオは言葉を失い、茫然と鏡を見つめながら己の毒の有無について考えをめぐらせた。

「ちょっと先輩に見てもらいますね」といって卵女は鏡から消えた。鏡の中にはジメオだけが取り残された。

しばらくすると、その店のトップスタイリストがジメオのかさの下あたりから顔を出した。

「こんにちは。お疲れ様でした。少し失礼しますね」

トップスタイリストは僕の知っている美しさにこだわりを持っているたぐいの美容師の女性で、僕の頭にそっと触れると、櫛を使って髪の長さや量を確認した。

隣では卵女が、己でこしらえたキノコの前衛アート作品をどや顔で眺めている。

トップスタイリストは「ちょっと見ててね」と卵女に呟き、ハサミを入れ始めた。

「シャキ、シャキ、ウキ、ウキ」

なんて心地の良い音だろう。ハサミが入る度に心が軽くなるようだった。

もし、僕が独り身であれば、すぐさまこのトップスタイリストに求婚していたであろう。

シメジメオはあっという間に黒髪の所ジョージに変身した。

しかし彼は本当は、井川遥になりたかったのである。

 

帰り際、今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えながら僕はもう一度卵女に尋ねた。

「何で……でも何で……いったい何で美容師になろうと思ったんですか?」

「え? 今の時代、手に職っすよ」

 

おそらくこのブログがアップされる頃には、卵女はスタイリストにかえっているかもしれない。

考え様によっては彼女こそが、全ての常識を覆し、僕を井川遥に仕立て上げることができる、僕が待ち望んだ、唯一のスタイリストなのかもしれない……ってそんなわけないか。