『ラ・ラ・ランド』 デイミアン・チャゼル
ミュージカルって最高なんです。
あたしゃミュージカルとチョコレートで育ったようなもんなんです。たぶん。
サウンド・オブ・ミュージック、ウエスト・サイド・ストーリー、RENT、ヘアースプレー……
ミュージカルのことを考え出したら、どれだけ死にたくなっても、もう一日、生きられます。
大学生のとき、スタバでバイトしながら、キャラメルマキアート1000杯くらい作って、NYに留学したのも、ブロードウェイでミュージカルが見たかったから。
スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスですよそんなもん。
そんなあたしが観た『ラ・ラ・ランド』
最高ですよ。そんなもん。
ミュージカルがキライな人は、なんでいきなり歌うの? なんで踊るの? ってよく言いますが、
人間なんて、必死で働いて、飯食うのは、歌って、踊るためなんですよ、ほんとに。
全ての言葉、全ての物語は、アンタのもんじゃない。
歌と踊りだけが、アンタのもんなんです。
生まれたばっかりのちびっこも、死ぬ間際のおっさん、おばさんも、歌って、踊っているときが、いちばん楽しいんです。
だから、ミュージカルは最高なんです。
『ラ・ラ・ランド』のあらすじとか、素晴らしい所とか、そんなもん自分で観てください。
僕が伝えたいのは、これを作った監督が、32歳ってこと!!
監督と同い年のボクは、この作品を観ながら、泣きながら、まだ夢見ていいんだよね、まだ夢見ていいんだよね、って心のなかで、何度も何度も、確認しました。
ミュージカルって、つまるところ、『夢』そのものなんです。
デイミアン・チャゼルさん、本当に素晴らしかった。ありがとう。
あたしゃまだまだ夢見るよ。
性別のことをなるべく真剣に
春めいてくると頭がポカポカして、熊みたいになるってよく言うけど、
ボクなんかは自分がメス熊なのかオス熊なのか、そこんとこが真剣に気になるわけ。
最近ニュースとかでLGBTってよく目にするようになったけど、たぶんサンドイッチのことじゃないよね。いろんな性的マイノリティーの人たちをひっくるめてLGBTって呼んでるみたいなんだけど、そうやって名前あげちゃうと、あっ自分はLGBTだったんだ! ガッテンガッテン!みたいな感じで安心しちゃって、そこで考えるのをやめちゃうんだよね。
抱えている悩みや病気に、名前があるのは、それを取り扱う周りの人たちのためであって、決して本人のためなんかじゃないだろうってボクなんかは思うの。
その人の悩みはその人だけのもので、カテゴライズする必要なんてサラサラなくて、そのコンプレックスこそがその人の個性なんだから、悩みに悩み抜いて、自分のコンプレックスに新しい名前つけちゃうくらいになんないとね。
そんなことでボクの悩みのことは『OGK』って呼んでほしい。
『オトコがキライ』の略だよ。一部上場企業みたいな名前でしょ!
男のボクがOGKなのはマジでしんどいんですわ。
10代や20代の頃はそれでもなんとか気持ちをごまかしてやってこれたけど、30過ぎるとこりゃもう無理ですわ。身体からも社会からもアンタは男なんやからって迫られて、最近は、えらいジャングルに迷い込んだなぁって思ってたら周り木じゃなくてヒゲやったっていう夢みるくらいまで追い込まれて、マジ自分がオトコなのしんどいんですわ。
これがもしOGS(オトコがスキ)やったら、そりゃもう早い段階で生きづらくなるんだろうけど、OGKだと相手が物好きなら恋に恋い焦がれ恋に泣けるから(GNG=グレイのグロリアス)、結婚なんかもしちゃって、週末は奥さんの買い物に渋々付き合う振りしながら、憧れの女性ブランドショップに潜入して、わーステキー、とか心の中で叫んだり、奥さんが試着室でもたつこうものなら、ルフィには悪いけどボクの方が先にお目当てのワンピース見つけちゃったぞーとか思いながら、薄汚い身体にそれをあてがったりしてみることだけが楽しみになったりするんだよね。
こんなボクはこの先どうすればいいんだろうかと真剣に悩んだりもするんだけど、結局OGKとか言いながら、自分がオトコだったから手に入れれたものをぜんぶ捨てる勇気や覚悟がないんだろうなとか考えちゃうと、なんだか泣けてきて、とりあえず目をつむりながらひとり、恋ダンス踊るしかないんだよね。ガッキー……あんたマジ天使だよ。ヒゲまみれのボク……あんたいったい何なのさ。
たぶんこんなふうにいろいろ考えちゃうのは、つまるところぜんぶ『HNS』なんだよね。
えっ、『春のせい』ってこと!
『マチネの終わりに』 平野啓一郎
遅ればせながら、昨年、2016年のさるたこ文学賞は、
平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』に決定いたしました。パチパチパチ。
この作品、男女の恋愛を主題にした物語のなかで、最高到達点にいっちゃったんじゃないでしょうか。(ちなみに僕が選ぶマチネ以前の最高到達点は、フジテレビのドラマ『やまとなでしこ』で、その前はスタジオジブリのアニメ『耳をすませば』でした。桜子さん! しずくー!)
このつながりやすすぎる時代に恋愛の物語をつむぐのはおそらく大変で、なんとかして男女をすれ違わせないといけないから、男女の体が入れ替わったり、契約結婚したりといった設定を物語に組み込むわけですが(断じてディスっているわけではありません。映画の方はサントラヘビロテだったし、ドラマの方は妻と一緒に踊り狂ってました。ヒラマサさーん!)、マチネにはそういった創作的な設定がありません。それでも男と女はすれ違うわけなんですが、その過程においてほとんど瑕疵が見当たりませんでした(一か所だけ、この小説に一気にエンジンをかける重大な行為があるんですが、このつながりやすすぎる時代を逆手に取った行為として、良しとしておきます。さるたこ、何様やねん!)。
恋愛っていうのは出会いの場面がいちばん素敵なんです。
真新しい小説のページをめくるときと同じ気分。
なんにも知らない相手のことを、視線と言葉のやり取りで、読み解いていく。
お互いがそれぞれの人生で蓄えてきた情報や経験をカードみたいに出し合って、それまで全く別々だった人生を少しずつ近づけていく。あの過程が最高に素晴らしいのです。
マチネの主人公たちはそれなりに年齢と経験を重ねているので、馬主だと嘘をつくことも、相手より先に図書カードに名前を書くこともいたしません。
マチネは、大人の男女の恋のはじまりをとっても美しく描いているのです。
恋のはじまりっていうのはいつだって夢みたいだから、これが現実に起こったことなのか、なにかの物語で読んだことなのかあいまいなんですが、星が落ちてきそうなきれいな夜空の下で、たまたま帰りが一緒になった気になる女の子と話しながら駅に向かって歩くなかで、会話がはずんで、心がおどって、もうしばらく駅に着かなくてもいいのになって思って、たぶん相手も同じこと感じているんじゃないかとか、もう少し話たいけど、カフェとかに入るのは違うんだろうなとかそんなことを感じながら、お別れする夜。
掴みどころがないけど、いつかまたって待ちわびている、そんな恋のはじまりの空気をマチネはしっかり閉じ込めた一冊なのでした。
イチ子の夜
今年の私のキーワードは『勇気』ということで、先日、人生初のおかまバーに潜入してきました。以下はそのお話。
店に入ると、背丈と肩幅からくらいしか男を感じさせない可愛い店員さんに、カウンター席を案内され、結構ガラガラなのに変なおじさんと変なおじさんの間に座らされた。
よく考えると、私も店員さんも変なおじさんだ。みんな変なおじさん。
左の変なおじさんは、常連風吹かしながら煮魚定食を食べていた。まぁ夕飯時だったから別にいいんだけど、バーで、しかも私にとっては人生初のおかまバーなのに、煮魚定食はないよね。しかも食べながらタバコ吸ってた。どっちかにせえよ。店員さんに「美味しい?」って聞かれて、「うん、美味しいよ。ゆなちゃんが作ったの?ってんなわけないか」って言って一人で笑った。カウンターの奥に目をやると、少しまともそうなおじさんがいて、包丁を握っていた。
右の変なおじさんは、女装してて、ゆなさんに「今日も制服で来たの」って言っていた。こういう店に女装してくることは『制服』でくるっていうみたいで、そういう業界用語を知れてやっぱり来てよかったなぁと思った。おじさんは自分のことをゆなさんに「イチ子ちゃん」って呼ばせていて、イチ子ちゃんとゆなさんの可愛い対決は、100対0でゆなさんの勝ちなんだけど、その差は地毛とウイッグの差とか、メイクの技術の差とかではない気がして、その差の謎を今夜解き明かしてやるぞって思った。
目の前の大きなテレビには、なんとか48のどれかのPVがエンドレスで流れていて、突然ゆなさんに「アイドル好き?」って聞かれて、「モー娘まででそれ以降はよく知りません」って答えたら、「お客さん、私と同世代かも」って言われて、ドキっとした。ゆなさんともっと話をしたかったけど、隣のイチ子が聞き耳を立てていたので、いったん止めて、頼んだお酒に手をのばした。ハイボールとミックスナッツはすぐになくなった。
「次なに飲もうかな」って呟いたイチ子のアクセントがあきらかに関西のそれだったので、「大阪の人ですか?」って話し掛けてしまった。イチ子は待ってましたって感じで「違うの神戸なの。あなたは大阪?」ってこっちに体ごと向けてきた。「違うんですけど、昔住んでたことがあって……」「どこ?」「阿倍野です」「阿倍野!」……正面から見たイチ子の顔は、ゆなさんと比べるといやはや1000対0で、「あんな、さっきお店の前で女の子がティッシュ配っててんけど、通り掛かる男みんなに配ってたのに、私には渡さなかってん。これって私が女の子に見えてるってことやんな」「そうですね」「どう? 私カワイイ?」って言うイチ子の鼻からは、鼻毛がわっさーって出ていた。1000対0。
ヒールを履き直していたのか、しゃがみながらカウンターから顔だけのぞかせて「なんか飲む?」って聞いてきたゆなさんを見て、あぁ可愛いなって思った。そして私もゆなさんみたいになれるんかなって、「ゆなさんのおすすめありますか?」って聞いてみたら、二番目に高い銘柄のウイスキーを勧められて、むむってなったけど、それを頼んだ。
「私、以前は数学の先生してたの」ってイチ子がさらっと言うもんだから、鼻毛だけじゃなくて顔全体をちゃんと見た。「先生ってな、生徒になめられたらおしまいやから、こういう気持ち、ずっと隠し続けて生きてきたの」って言うイチ子が急に愛おしく見えてきて、ずっとずっと隠し続けてきたんやから、鼻毛もちゃんと隠したらええのに、でもそんなんは大目に見たらなあかんかなって思った。
「あなたもこういう店に来るんやから、そうなんじゃないの?」
「え?」
私は助けを求めるみたいにゆなさんの方を見たけど、ゆなさんは左のおじさんにワカサギのから揚げをごり押していた。私はおそらくイチ子とはもう二度と会わないだろうから、昔から、ジャンプよりメンズノンノより夏目漱石より、セブンティーンやミーナを読むのが好きだったことを打ち明けた。イチ子は「わかる!わかる!」と言った。私はさらに池田エライザちゃんや井川遥さんになりたいとも語った。イチ子は「わかる!わかる!わかるわー」って鼻毛を揺らした。
同じような悩みを抱えて生きている人がたくさんいることは知っていたけど、その夜、私はそのことをちゃんと知った。だからどうするってことはまだわかんないけど、イチ子とゆなさんは私より可愛いとか美しいにずっと誠実で、はるかに自由だった。なんだかせつない夜だったけど、せつなさは人を美しくさせるんだって思った。
SEE YOU IN TOKYO
昨年の夏頃にハイパーメディアクリエイターの妻が、今度は「アパレルデザイナーになりたい!」って言い出して、ほうほう、こいつは相当なファンキーガールだなぁと思っていたら、コンクリートジャングルTOKYOの専門学校の入試を受けてきて、パスしやがって、今年の春からスカイスクレイパーTOKYOに住むことになりました。おーこわ。
現在は、見渡す限り山ばかりで、冬になるとロシアくらい寒くなる、とある地方で暮らしているので、生まれて初めてトラフィックジャムTOKYOに住むのは、答えでもない 本当でもない 信じてるのは 胸のドキドキ 胸のドキドキだけっていう感じです。
僕はこの人生の行き先を、妻の意見で決めてきました。
今回の決断も周りのピーポーたちは、「あら素敵、理解ある旦那さんだね」とか褒めちぎってくれていますが、心のなかでは、おいおいダンナ大丈夫か、イイナリダンナーかよってつぶやいてるんじゃねえかと思います。
しかし、僕と妻はもう10年以上の付き合いがあり、妻のケイパビリティ―は僕が一番理解しているのです。妻のコミュ力、行動力、ルックス、リーダー性は、僕のそれと比べると雲泥の差であり、妻こそがヒラリーダフ、じゃなくてヒラリークリントンでも破れなかったグラスシーリングを粉々に粉砕してくれるんじゃないか、僕はそう信じているのです。おーこわ。
僕のこんな生き方を母親はしっかりと見抜いていて、「アンタはお母さんと一緒や、私も何も考えずにお父さんについて生きてきたらこんなんなってもたわ」と、携帯ショップのイケメンから無理やり契約させられたタブレット端末でゲームをやりながら言ってのけるのでした。
母親が幸せかどうか、僕にはよく分かりませんが、積もり積もった何十年分の愚痴を、ツムツムに重ねて、ポコポコと心地良い音を響かせて、うひょうひょ笑いながらそれらを消している姿は、昨今の鹿島アントラーズくらいしたたかだなって、僕なんかは憧れてしまうのです。
僕はガラケーなのでツムツムはやりませんが、妻について生きていく感想を、こんなふうに言葉で積み上げていければいいなと思うのです。
SEE YOU IN TOKYO
2016年最悪の夜
12月のとある夜、久しぶりに大人を怒らせた。
知り合いに紹介された飲み会に、仕事の都合で30分ほど遅れて参加したら、知らない医者の人が参加していて、その医者は本を出したり、講演会とかやったりしている結構有名な医者らしく、その場には全部で7人くらい参加者がいたんだけど、みんなその医者と、医者の旧友である、とある福祉事業所の経営者を一生懸命持ち上げて、二人に気持ちよく喋らせている、そんな飲み会だった。
終盤、今年7月の相模原で起きた障害者殺傷事件の話題になって、みんなが障害者についてどう考えているかみたいな議論になったとき、その医者が「僕らもみんな障害者みたいなものだよ」と言った。
もちろん、みんなそれぞれ出来ないことやこだわりを抱えて生きているみたいな文脈の発言だったと思うんだけど、僕はちょっとその言い方にイラっとして、みんなが障害者っていう表現はおかしくて、みんなに個性とか役割があるっていうことでしょう、みたいな感じで医者に反論した。
医者は「役割って例えばどんなの?」って聞いてきて、
「例えば、あなたが医者になったみたいに」って答えたら、
医者は「いや、僕は僕の努力で医者になったんだけど」って突っかかってきて、
「でも、医者になれる環境があったんじゃないんですか」って言っちゃって、
医者は「環境って?」ってさらに聞いてきて、
「親が医者だったとか、経済的に余裕があったりとか」って答えたら、
医者は「僕は、親父が小さい頃に死んで、かなり貧しい環境で育ったんだよね。そういう医者に対する偏見は本当に腹が立つんだよね。堪忍袋の緒が切れたよ。帰るね」と吐き捨てるように言って席を立ち、店から出ていった。
旧友の経営者がすぐに医者を追いかけていったんだけど、僕はあまりに突然のことで、席に座ったまま、ただただ茫然としていた。
結局医者は戻らず、最悪の雰囲気のまま、飲み会は解散になった。
僕はその医者の過去を知らなかったし、医者はおそらく僕よりも20くらい年上だったので、僕の発言がいくらか配慮を欠いていたとしても、僕が謝罪する余地も与えずに席を立ったのは大人げないと思うのだが、とにかく他人がずっと大切にしてきたことに対して、想像力を欠いた発言をしたことに、心からの謝罪をしたい。ほんまにすんません。
言葉は想像力をパッケージするためにあるんじゃなくて、解き放つためにあるはずだ。
少なくとも僕はそんなふうに言葉と付き合っていきたい。
障害者、医者、そんな言葉で、たったひとりの相手を閉じ込める。
言葉の力を信じていたつもりなのに、全然真摯に向き合えていないじゃないか。
言葉をあなどるなよ。でも、恐れちゃいけない。
2017年はさらに深く、言葉と共に生きようと思います。
表現すること
先日、友人の紹介でアートイベントの打ち上げに参加した。
とある村の大きなアートイベントで、現代アーティストを村に招待し、三か月ほど滞在させ、地域住民とのワークショップや作品制作、展示を行ってもらう、いわゆる地域おこし事業のイベントだった。
友人がそのコーディネーター役をやっていて、アーティストたちの滞在最終日の打ち上げに、「いい刺激になるから」と僕を呼んでくれたのだった。
打ち上げ会場である、古民家を改築した交流スペースにいたアーティストは、日本人と韓国人とオランダ人とイタリア人の4人だった。日本人以外は全て女性だった。
4人ともそれぞれにジャンルが違っていて、映像、テキスタイル、絵画、インスタレーション。美術に疎い僕には全然分からない単語が、しかも英語で飛び交っていた。
作品制作やワークショップに参加した村民や、運営スタッフ、僕みたいに全然関係ない者など、会場には30人くらいの人が集まっていて、4人のアーティストの周りに群がっていた。
年齢も職業も雑多な集まりだったが、皆アート好きなのが共通項で、お洒落な髪形や服装の人が多かった。
人見知りの僕はとにかく酒をあおって、ナッツをボリボリやりながら、場違いな自分を会場の雰囲気になじませていた。
酔いが回り始めると、それまでは音楽のように耳を通り抜けていたアーティストたちの英語が意味を持ち始めた。
英語が上手く話せる人が周りにいないらしく、オランダ人とイタリア人のアーティストは二人だけで会話をしている様子だった。
「素晴しい作品でした」と僕は二人に声を掛けた。
しばらく月並みなやり取りが続いた後、オランダ人が「あなたも何か表現するの?」と聞いてきた。
既に十分酔っぱらっていたので、「小説を書いている」と言ってみた。
その途端、二人の目は輝いて、どんなテーマを書いている? 尊敬する作家は誰だ? 小説は出版されているのか? など逆に質問攻めになった。
「コンペに何度か応募しているだけで、出版の予定はないんだ」と僕は苦笑しながら答えると、オランダ人は目を輝かせたまま「ハルキムラカミやバナナヨシモトの作品は素晴らしかった」と言い、イタリア人は「あなたはまだ出版していないだけ、出版したらぜひ教えて欲しい」と微笑みながら言った。
なかなか認めてもらえないと焦っている僕の心を、二人はもちろん見透かしていて、彼女達にとっては、僕もハルキムラカミやバナナヨシモトと同じ、日本人の小説を書いている人なんだなぁと、アルコールの力と久しぶりに英語を話す高揚もあって、ずいぶんと楽しい勘違いをさせてもらった。
気持ちの大きくなった僕は、少し気難しそうに見える日本人作家にも声を掛けることにした。
その男性は、木炭などを使って対象を表現する作家だった。
今回描いた村の美しい紅葉風景も、やはりモノクロだった。
何故モノクロにこだわるのか彼に聞いたところ、色があると本当に見たい、感じたいものが見えにくくなるとのことだった。
「あなたの本当に見たいもの、感じたいものって、結局何なんですか?」と僕は聞いた。
彼は日本酒の入ったグラスを机に置き、腕組し、少し考えた後で、
「さぁ、何なんでしょうね」と言った。
「じゃあ、それを見つけるために、表現し続けてるってことですか?」
すると彼は遠くを見るような目をして、
「おこがましいかもしれませんが、僕はそれ自体を描き続けているつもりですが……」と吐き出すように言った。
彼とのやり取りのおかげで、僕は自分の小説がなぜ認められないか、分かったような気がした。