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人生30過ぎてからでしょう。

好きな本、映画、日々考えていること、気の向くままに書きます。

『火花』 又吉直樹

 

話題の作品。

遅ればせながら思ったことを書かせていただきます。

 

※以降ネタバレあり

 

 たくさんの場所で既にいろいろ書かれておりますので、

僕からは二点だけ。

 

まずこの作品が芥川賞というのにはあまり納得がいきません。

これまでの芥川賞作品を全て読んだわけではありませんが、

僕が読んだ芥川賞作品には常に小説が持つ独特の力を感じることが出来ました。

小説にしか出来ない表現、作家が書くことでしか伝えられない何かです。

『火花』の中にこんな一説がありました。

 

必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろ?

一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するの怖いだろう。

無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。

臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。

 

この想いと時間を経て出来上がった作品が、力のある小説であり、笑える漫才だと思います。

又吉さんは笑いでそれを築くことが出来た。

しかし、今回の小説は、その笑いで培った時間や世界観をノベライズした作品のように思います。

小説という新しい舞台でも、同じようにリスクを負い、常識を覆すことに全力で挑んだ果てに出来上がった作品に芥川賞は渡るべきだと思うのです。

 

二つ目は小説の面白さについて。

『火花』の作中の先輩芸人との掛け合いやクライマックスの漫才のシーン、確かに面白いですが、舞台で、本物のコントや漫才として表現した方が絶対面白いと僕は思いました。笑いの世界で真剣勝負をしている又吉さんならなおさらそう思うでしょう。

では、小説でしか表せない面白さって何でしょうか?

僕は前回紹介した町田康さんの『告白』で主人公が意中の女の子を意識しながら盆踊りをするシーンを電車のなかで読んでいたんですが、周りの人が引くほど笑ってしまいました。

又吉さんが、小説という表現方法を使って何をやりたいのか?

小説でも笑いにこだわり、小説でしか表現できない笑いを追求するのか。

もしそうなら、今回の『火花』では到達出来ていなかった気がします。

 

とにもかくにも又吉さんの次回作が楽しみです。

でもしつこいようですが、次回作で度肝抜くような作品を生み出した時に、はれて芥川賞を渡して欲しかったと僕は思うのです。