人生30過ぎてからでしょう。

好きな本、映画、日々考えていること、気の向くままに書きます。

2016年最悪の夜

 

12月のとある夜、久しぶりに大人を怒らせた。

 

知り合いに紹介された飲み会に、仕事の都合で30分ほど遅れて参加したら、知らない医者の人が参加していて、その医者は本を出したり、講演会とかやったりしている結構有名な医者らしく、その場には全部で7人くらい参加者がいたんだけど、みんなその医者と、医者の旧友である、とある福祉事業所の経営者を一生懸命持ち上げて、二人に気持ちよく喋らせている、そんな飲み会だった。

 

終盤、今年7月の相模原で起きた障害者殺傷事件の話題になって、みんなが障害者についてどう考えているかみたいな議論になったとき、その医者が「僕らもみんな障害者みたいなものだよ」と言った。

もちろん、みんなそれぞれ出来ないことやこだわりを抱えて生きているみたいな文脈の発言だったと思うんだけど、僕はちょっとその言い方にイラっとして、みんなが障害者っていう表現はおかしくて、みんなに個性とか役割があるっていうことでしょう、みたいな感じで医者に反論した。

医者は「役割って例えばどんなの?」って聞いてきて、

「例えば、あなたが医者になったみたいに」って答えたら、

医者は「いや、僕は僕の努力で医者になったんだけど」って突っかかってきて、

「でも、医者になれる環境があったんじゃないんですか」って言っちゃって、

医者は「環境って?」ってさらに聞いてきて、

「親が医者だったとか、経済的に余裕があったりとか」って答えたら、

医者は「僕は、親父が小さい頃に死んで、かなり貧しい環境で育ったんだよね。そういう医者に対する偏見は本当に腹が立つんだよね。堪忍袋の緒が切れたよ。帰るね」と吐き捨てるように言って席を立ち、店から出ていった。

旧友の経営者がすぐに医者を追いかけていったんだけど、僕はあまりに突然のことで、席に座ったまま、ただただ茫然としていた。

結局医者は戻らず、最悪の雰囲気のまま、飲み会は解散になった。

 

僕はその医者の過去を知らなかったし、医者はおそらく僕よりも20くらい年上だったので、僕の発言がいくらか配慮を欠いていたとしても、僕が謝罪する余地も与えずに席を立ったのは大人げないと思うのだが、とにかく他人がずっと大切にしてきたことに対して、想像力を欠いた発言をしたことに、心からの謝罪をしたい。ほんまにすんません。

 

言葉は想像力をパッケージするためにあるんじゃなくて、解き放つためにあるはずだ。

少なくとも僕はそんなふうに言葉と付き合っていきたい。

 

障害者、医者、そんな言葉で、たったひとりの相手を閉じ込める。

言葉の力を信じていたつもりなのに、全然真摯に向き合えていないじゃないか。

 

言葉をあなどるなよ。でも、恐れちゃいけない。

 

2017年はさらに深く、言葉と共に生きようと思います。