SEE YOU IN TOKYO

 

昨年の夏頃にハイパーメディアクリエイターの妻が、今度は「アパレルデザイナーになりたい!」って言い出して、ほうほう、こいつは相当なファンキーガールだなぁと思っていたら、コンクリートジャングルTOKYOの専門学校の入試を受けてきて、パスしやがって、今年の春からスカイスクレイパーTOKYOに住むことになりました。おーこわ。

現在は、見渡す限り山ばかりで、冬になるとロシアくらい寒くなる、とある地方で暮らしているので、生まれて初めてトラフィックジャムTOKYOに住むのは、答えでもない 本当でもない 信じてるのは 胸のドキドキ 胸のドキドキだけっていう感じです。

 

僕はこの人生の行き先を、妻の意見で決めてきました。

今回の決断も周りのピーポーたちは、「あら素敵、理解ある旦那さんだね」とか褒めちぎってくれていますが、心のなかでは、おいおいダンナ大丈夫か、イイナリダンナーかよってつぶやいてるんじゃねえかと思います。

しかし、僕と妻はもう10年以上の付き合いがあり、妻のケイパビリティ―は僕が一番理解しているのです。妻のコミュ力、行動力、ルックス、リーダー性は、僕のそれと比べると雲泥の差であり、妻こそがヒラリーダフ、じゃなくてヒラリークリントンでも破れなかったグラスシーリングを粉々に粉砕してくれるんじゃないか、僕はそう信じているのです。おーこわ。

 

僕のこんな生き方を母親はしっかりと見抜いていて、「アンタはお母さんと一緒や、私も何も考えずにお父さんについて生きてきたらこんなんなってもたわ」と、携帯ショップのイケメンから無理やり契約させられたタブレット端末でゲームをやりながら言ってのけるのでした。

母親が幸せかどうか、僕にはよく分かりませんが、積もり積もった何十年分の愚痴を、ツムツムに重ねて、ポコポコと心地良い音を響かせて、うひょうひょ笑いながらそれらを消している姿は、昨今の鹿島アントラーズくらいしたたかだなって、僕なんかは憧れてしまうのです。

 

僕はガラケーなのでツムツムはやりませんが、妻について生きていく感想を、こんなふうに言葉で積み上げていければいいなと思うのです。

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