社会に戻る前に
社会に戻る前に、その目的をあらためてここに書き記す。
いったん戻ってしまうと、なぜ戻ったのかを忘れてしまうことが往々にしてあるからだ。
私は優れた小説を書くために社会に戻る。
優れた小説とは、現実社会に新たな宇宙をこしらえるような小説だ。
そして、私が戻る社会とは人であり、人との対決である。
対決というのは、単に男でいう殴り合い、女でいう髪の引っ張り合いではなく、金と時間のやりとりである。
ではなぜ男が髪の引っ張り合いではなくて、殴り合いであるかというと、五指で掴めるほどの頭髪を持つ男の数が、女のそれよりも圧倒的に少ないからである。短髪の男二人が、親指と人差し指のみで互いの髪を掴み合い、引っ張り合っていても、それは対決ではなく、どこか異国の挨拶であろうとみなされる。そして、女が殴り合いではない理由、こちらはとても簡単で、大切なネイルがあるため硬く拳を握られないからである。
と、これまでの五行は、本筋とは全く関係のない話で、読者の時間への冒涜であり、つまりは読者に対する私からの対決である。
この三年間、私は現実社会を拒絶し、先人の書いた小説社会と対決してきた。
しかしこの対決はワンウェイな対決であり、相手の金と時間には一向に影響を及ぼすことができない。
このやり方でも優れた小説を書ける輩もいるだろう。しかし、私にそれは叶わなかった。
この期間、私は現実社会を絶つため、スマホからあえてガラケーに機種を変え、「SNSやってる?」と対決を挑んでくる輩を、「ガラケーやからやってないねん」とはねのけていた。皆私のことを電話ボックス君と呼んでいただろう。
仕事中は定時で上がることだけを考え、残りの時間を小説を読むことと書くことだけに費やした。しかし、ワンウェイ対決だけで生まれた私の小説は、それを書いた私自身のように、弱っちく、深みのない代物だった。
この事実は私を幾らか苦しめたが、また現実社会に戻るきっかけを与えてくれることとなった。
私は社会に戻る。
身の毛もよだつ速さで打てるようになったガラケーは、スマホに戻した。
ハロー、フリック。ハロー、スワイプアンドタップ。
優れた小説を書くため、私は社会に戻る。