人生30過ぎてからでしょう。

好きな本、映画、日々考えていること、気の向くままに書きます。

『ファミリー・コンポ』と私

 

僕の好きなマンガの一つに北条司さんの『ファミリー・コンポ』という作品があります。

 

ちょいとあらすじを紹介すると……

主人公の大学生、雅彦(男)は、とある家に居候することになったんですが、その家族の夫婦は性別が逆転していて、雅彦はいろんなドタバタに巻き込まれるわけですが、そんな中で、同居している二人の子ども、紫苑に、少しずつ心惹かれていくというお話です。

 紫苑はとにかく美しい顔面の持ち主で、その日によって居心地の良いジェンダーを選んで生活しています。学校と部活は女、バイトは男、みたいな感じです。

性別が逆転している両親の影響で、紫苑は性や恋愛に対して無頓着になっていて、雅彦はそんな紫苑に振り回され続けます。しばらくして紫苑のことを好きだと自覚し始めるんですが、もし紫苑が男だったら俺はオカマじゃないか!……みたいな感じでモンモンするわけです。

物語は終始雅彦の視点で描かれているので、紫苑の葛藤(あるとすればですが……)を読者は知ることが出来ません。紫苑はいつもサバサバとしていて、性別も不明なので、あまり人間味を感じないキャラクターになっています。

最終話、雅彦は「男でも女でも、どっちだって構わない。紫苑が好きだ」と告白します。読者は紫苑の口から、告白の返事と、やっと本当の性別が語られることを期待しますが、北条先生はどちらも明かすことなく、急に物語を終わらせてしまいます。

 

僕はこのマンガを高校生のときに初めて読んだのですが、それ以来ずっと、このラストシーンが心の奥に張りついています。

男と女に対して僕が悩んでいるもの、追求したいもののヒントが、雅彦が乗り越えたもののなかにあるように思えるのです。

もし、紫苑が女性で、雅彦のことを受け入れるエンディングだったなら、こんなに僕の心のなかにとどまることはなかったでしょう。

 

ここまで、『ファミリー・コンポ』への僕の向き合い方を長々書いた上で、

最近僕が男と女について考えていることを二つばかり書こうと思います。

 

一つ目は、男である、女である、この人が好きであるって、ぜんぶ努力と覚悟なんだなって思うことです。

たとえば僕が合コンで、白石麻衣ちゃんみたいな人に出会ったらすぐ好きになると思います。なぜなら、肌が柔らかくて白いし、髪がサラサラでキラキラだし、なんだかスイーツみたいな匂いしてくるし、おっぱいあるし、お尻あるし、つるつるした手足の爪あるし、綺麗な声だし、ジルスチュアートとかのフワッフワした服着てるし、とにかくあっという間に好きになると思います。

でもこれってようはぜんぶひっくるめると、女ってことなんですよね。つまりは、僕は白石麻衣ちゃんが女だから好きなんです。そしていくら白石麻衣ちゃんだって、ワークマンの服着て、ろくでなしブルース読みながら炬燵でケツかきながらポテチばっかり食ってたら3カ月で女じゃなくなると思います。

雅彦が、男でも女でも関係なく紫苑が好きだと言ったのは、まさに努力と覚悟だと思うんですよね。

雅彦は紫苑のいったい何を好きになったんでしょうね。

 

二つ目は、この世界には僕の分身の女性がいるんじゃないかという淡い希望のお話です。

今から6年ほど前に素敵な女性に出会いました。

その人は絵描きで、可愛い顔をしていて、真っ直ぐでウソが苦手で、一発でたまらなく好きだなって思ったんですが、手を握ってみたいとか、頭と肩を合わせて一緒に一つのクレープを突っつき合いたいとか、そんなことは全然感じなくて、これまでの可愛い女の子に対する好きとは全く違うなって感じたことを覚えています。

それは友達という感情ともまた違くて、よくよく考えて、言葉にしてみると、もし僕が女の子だったらこの人みたいだろうなって感情がいちばんしっくりきたのです。

 

その人とはもう疎遠になってしまったんですが、クレープの女の子じゃなくて、その人と二人でずっと遠くまで歩いてみたらどんな世界が見えたんだろうなとか時々眠れない夜とかに思い耽ってみるのでした。