『伴走者 夏・マラソン編』 浅生鴨

 

いつだって障害×エンタメは放っておけません。

エンタメとは、つまるところ他人の世界を疑似体験することにお金を払うことですが、

アイドルや勇者や犯罪者の世界にはまっさらな気持ちで飛び込めるのに、

障害者の世界となると、僕はいろいろ余分なものを抱えて飛び込んでしまいます。

だから単純に泣いたり笑ったりすることがうまくできない。

多分僕みたいな人が多いから、障害を主題にした作品の数が少ないのだろうと思います。

そんななかで、今回の浅生鴨さんの『伴走者』。

ちなみに僕は、障害福祉分野で働いていた経験があるし、サブ3.5ランナーだし、小説家を志しているしで、相当要らないものを背負ってこの本を読みました笑

 

ネタバレあり

 

結論から申し上げますと、ラスト5ページくらい泣きっぱなしでした。

フルマラソンを走った経験がある人が読めばみんな泣いてしまうんじゃないでしょうか。

この作品は障害が主題のように見えて、マラソン(スポーツ)小説でした。

作中でもありましたが、フルマラソンの30キロを過ぎてくると、視界がぼやけ始めて、沿道の声援、シューズが地面を蹴る音も止み、自分の輪郭が曖昧になって周りのランナーと一体化したように、無意識にただひたすら前に進んでいく、そんな時間が訪れます。

僕は健常者ですが、そのときは誰かに伴走されているような、何かに走らされているような不思議な感覚に陥ります。ランナーだけが知っているあの特別な時間、作品ではラストの内田と淡島のやり取りにそれが滲み出ています。

また、小説という、書いたり読んだりを孤独にかつ能動的に進めるという行為そのものもマラソンにぴったりと重なって最後の素晴しいカタルシスが生まれたように思います。

 

主人公が淡島であること。内田がヒールであること。障害者の話ではなくアスリートの話であること。多分この3点がこの作品をエンタメとして成立させていると思うんですが、僕は、内田が障害を受容する過程であるとか、内田のマラソン以外の側面であるとか、もっと感情移入しづらい先天性のブラインドランナーの登場とか、そういったところを読んでみたい、書いてみたいと思うのですが、エンタメとして成立しづらいのかもしれません。

そんなこと言っても、とにかく自分を信じて書き進めるしかないわけですが、どなたか僕の伴走者(編集者)になってくれませんか。お待ちしています笑