『Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018』宇多田ヒカル
宇多田ヒカルさん、以下はヒカルちゃんと呼ばせていただくが、
彼女は現代で日本国民にもっともその歌を聴かれた女性アーティストである。
あなたにとっても、クリーニング屋のおばちゃんにとっても、いい波のってる女子高校生たちにとっても、それぞれのヒカルちゃんがいて、僕にとってのヒカルちゃんは、まさに神である。
昨今の若者たちは神を多用しやがるが、僕にとっての神はヒカルちゃんだけ、唯一神。
彼女がなぜ神なのか、それは「赤は止まれ」くらい簡単で、1998年12月9日に発売された「Automatic/time will tell」の時点で、完全に完璧だからである。
うそこけとお思いになる方は一度聴いてみるがいい。歌声もサウンドも全て完成されている。七回目のベルまで聴かなくても「な」で十分である。
つまり彼女は、我々人間が永遠と繰り返す、葛藤からの成長というシークエンスそのものが欠落している。ゆえに神である。
ここで彼女が活動を休止する2010年までの作品の歌詞をいくつか引用する。
今の言い訳じゃ自分さえごまかせない(time will tell)
約束はしないで 未来に保証は無い方がいい(B&C)
悩みなんて一つの通過点 大きすぎるブレスレットのように するり
(Wait & see~リスク~)
風にまたぎ月へ登り 僕の席は君の隣り ふいに我に返りクラリ 春の夜の夢のごと し(traveling)
誰もいない世界に私を連れていって(虹色バス)
まさに神である。
デビューして12年、2010年12月9日、横浜アリーナの公演でヒカルちゃんは活動を休止する。
神であることを止め、人間に戻る。その後、母親の死や自身の出産を経て、彼女はどんどん人間になる。
だから、2016年に『花束を君に』で復活した彼女は、人間でも神でもない、得体の知れない存在となって私たちの前に現れた。
男性の僕として一番しっくりくる表現は、ヒカルちゃんは母になっていたのだった。
再びここで2016年以降の作品の歌詞を引用する。
世界中が雨の日も 君の笑顔は僕の太陽だったよ(花束を君に)
愛してる、愛してる それ以外は余談の域よ(Forevermore)
飯食って 笑って 寝よう(Play a love song)
まさに母である。
そしてデビューして丁度20年目の2018年12月9日、幕張メッセで行われた『Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018』の千秋楽の会場に僕はいた。
ツアーTシャツとフーディ(いつからこの国の人間はパーカーをフーディと呼ぶようになったのか)をお買い求め、妻とどっちがどちらを着るかで、髪の引っ張り合い喧嘩をしてから会場に入るとなんと席は、前から4列目のど真ん中。日頃の行いの良さがものを言うねほんとに。
僕にとってヒカルちゃんは、テレビとスマホとスピーカーとイヤホンの中にいる存在で、この時僕はまだ彼女が本当にこの世界に存在しているのか疑念を抱いていた。
誰もいないステージを見つめながら、彼女の歌に支えられた僕の20年間を振り返った。
ステージをバックに写真を撮って欲しいとガチアゲギャル二人組に言われたので写真を撮った。
先程からトイレに行って戻ってこない妻のことを思った。僕がフーディを着たかったのに「いくらか寒い」と言い出しやがった。体温の話を持ち出されたら言い返せないじゃないか。
次は礼儀正しいカップルにせがまれて写真を撮った。またヒカルちゃんとの20年を振り返った。また写真を撮った。20年を振り返った。妻が戻ってきて「少し熱い」と言い出した。今度は妻が写真を撮った。そして照明が落ちた。
ヒカルちゃん降臨。
いた。本当にいた。
一曲目は『あなた』だった。
そこからの二時間半、僕はずっとヒカルちゃんを見つめた。
彼女の髪、目、口、顎、肩、胸、腕、手、指、腰、お尻、腿、膝、脚、つま先はステージの形のせいで見えなかったけど、とにかく全部見た。
そして彼女の声を聴いた。
生の彼女がどうだったかと問われると、それは人間の女性だったんだけど、人間の女性だけだったら、同じ時間同じ場所に何万人もの人を呼べないから、それができる何かを持った人間の女性だったとしか言いようがない。
20年目の『Automatic』をヒカルちゃんと一緒に歌った。
神々しいのに親しみやすくてやさしくて、でも寂しそうにも切なそうにも見えた。
やっぱりヒカルちゃんいいなって思った。
このライブに行くためにここ数カ月を何とか生き延びてきた僕にとって、最後の『Goodbye Happiness』は絶望の始まりだった。
歌い終わるとヒカルちゃんはステージからいなくなり、またスマホとかの中に戻っていた。
あぁ終わってしまった。
しかし絶望の中でも笑うしかないのだ。
そうだ金沢にでも行ってのどぐろでも食べよう。
金粉パックする妻を見ればまた笑えるかもしれないのだ。