世界をつなぎとめる言葉
週末、旧友に会うため、関西に行った。
一年ぶりの関西弁は、もう耳慣れない言葉に聞こえた。
日曜の朝、新快速列車に乗り込み帰路につくと、しばらくして車内アナウンスが流れた。
「お客様にお知らせいたします。○時○分、吹田駅ホーム内で人身事故があり、その影響のため、現在、大阪京都間の運行のめどが立っておりません。この電車も次の西宮駅で一時運転を見合わせます……」
休日の朝でも新快速列車の乗車率はほぼ100%で、サラリーマンに代わって様々な乗客たちが乗り合わせていた。みんなには何かしら予定があったが、僕には電車を何本か乗り継いで家までたどり着く、それだけしかなかったので、慌てる乗客の様子をじっくり観察することにした。
電車が西宮駅に入り、速度を緩める。
みんなスマホをしゅるしゅるしながら次のアナウンスを待つ。
「西宮ー、西宮ー」、電車が止まり、扉が開く。
「お客様にお詫びとお知らせいたします。吹田駅で起きた人身事故のため、現在、大阪京都間の全線の運行のめどが立っておりません。新しい情報が入り次第お伝えいたします」
半分の人がスマホを見るのをやめて、騒ぎ始める。
家族や友人がいる乗客は、「待つ?」「あきらめてタクシーにする?」「とりあえず行けるところまで行った方がいいんやない?」「お父さん、ちょっと駅員さんに聞いてきて!」とか言っている。
一人きりの乗客は、隣の一人きりの乗客と、「これどうなるんでしょうね?」「私、大阪で友達に会うのよ」「この電車動くんですかね?」「西宮て、せめて尼崎で止まって欲しかったわ」とか言っている。
残りの半分は、いまだスマホで何かを検索している。スマホは現場の駅員より、状況に詳しいのかもしれないし、とっくにあきらめてパズドラをやっているだけかもしれない。
運行ダイヤを失った列車は、鉄道ミュージアムの展示物のようで、乗客たちは意味もなく出入りを繰り返している。
「人身事故て、このクソ忙しいのに何してくれてんねん!」と新喜劇みたいに怒鳴り散らすおっさん。それ聞いて泣き出す子ども。英語でのアナウンスが全くないため、呆然とする外国人観光客。見かねてつたない英語で通訳を始めるインテリ風男子大学生、「アットスイタステーションサムワンゴットアクシデント……」「Pardon?」
壊れかけている世界をなんとか元に戻そうと、みんな必死でしゅるしゅるスマホを操っている。
そこで僕は想像する。
もしアナウンスが次のような内容だったなら……、
「お客様にお知らせいたします。○時○分、吹田駅ホーム内で、男子中学生が回送列車に飛び込み、即死しました。そのため、現在、大阪京都間の運行のめどが立っておりません。この電車も次の西宮駅で一時運転を見合わせます……」
新喜劇風のおっさんは怒鳴り散らすのを止めるかもしれないし、この後の日曜の楽しい予定を一部変更する人もいるかもしれないし、急に涙を流し出す人だっているかもしれない。
とにかく実際に流れたアナウンスがあった世界とは、異なる世界が僕の目の前に現れるだろう。
教室で、おそらくいない人と扱われていた男子中学生が、最後の最後に何万人もの現実をかき乱している。
しかし、二時間後、『人身事故』という言葉のおかげで、中学生が揺らした世界は、元の世界に戻る。止まっていた列車もダイヤを取り戻し、再び乗客たちを目的地まで運び続ける。
こういう言葉が世界をつなぎとめている。
壊れかけた世界をそっと元に戻している。
おそらく『人身事故』以外にもそういった言葉はたくさんあると思う。
そんな言葉たちが、いいか悪いかは別にして、僕の好きな『何か』を覆い隠しているには違いないのである。