『おっさんずラブ』を真剣に考える

 

やっと話題の『おっさんずラブ』を観ました。

とっても面白かったんですが、この作品が何故こんなにも話題になったのか、

性別は男性、性自認は女性、恋愛対象は女性(いまのところ)、既婚者(子どもなし)の私が真剣にこの作品について考えてみたいと思います。

 

以下ネタバレあります。

 

 

 

まずもって簡単な説明。

田中圭が演じる春田創一(33、男)は、不動産会社のうだつの上がらない営業社員。脱いだ靴下を洗濯機に入れられない人間。

しかし、春田は圧倒的に可愛い。この可愛さというのは性別の概念を超えて、女性はもちろん、男性でさえ可愛いと思ってしまう、いわゆる猫とか赤ちゃんとかおばあちゃんとか陽だまり的な可愛さ。

とにかく田中圭が可愛い。恐らくこの作品が話題になった理由は田中圭が可愛い、それに尽きるのだが、それで終わってしまうとまだ300文字くらいしか書いていないし、1,000文字くらい書くと見えてくる言葉とかもあるからもう少し続けてみる。

 

この作品のヒロインは三人いて、吉田鋼太郎演じる、春田の上司、黒澤武蔵(55、男)、林遣都演じる、春田の後輩、牧凌太(25、男)、そして内田理央演じる、春田の幼なじみ、荒井ちず(27、女)。

黒澤と牧は同性愛者であり、春田の可愛さの虜になっている。

ちずは異性愛者であり、こちらも春田に虜だが、幼なじみという関係性が邪魔をして素直になれていない。

この作品のメインテーマは「同性愛」なのだが、このタブーとも言えるテーマで、作品が地上波で高い評価を得た理由は、前述したように圧倒的に田中圭が可愛いことと、彼以外の登場人物が、同性愛に対して摩訶不思議に寛容的なところ(誰も、え!男同士ですよ!とはつっこまない、逆にその思考が残っているのは春田のみ)、そしてコメディ要素を多分に残しながら(これは吉田鋼太郎の怪演のおかげ)、現実世界よりも多様性がある『おっさんずラブの世界』をある程度真剣に創り上げているからである。

 

ここである程度真剣にと言ったのは、本気でやるなら最終話の結婚式に春田の母親を存在させるべきだし、もっと春田と牧、春田と黒澤の性描写を描かなければならない。

しかしもちろん春田の母親に同性結婚を納得させるまでの過程を、異性愛者の視聴者、同性愛者の視聴者にも納得させるように描いたり、春田と牧や黒澤の性描写を異性愛のそれくらいちゃんと描いたら、そりゃもうエンタメではなくなってしまう。

 

それでもこの作品にはすんばらしいところがいくつかあった。

まず、春田とちずの性描写を描かなったところ。

たぶんそれを描いてしまったら、全部が台無しになっていただろう。

春田と牧のキスシーンはあるのに、春田とちずのそれはない。

春田が最終的にちずとくっつけばいいのになって、心の中で期待している自分がいた。

結局異性愛をスタンダードに考えている自分がいて、本当に悲しい気持ちになった。

それに気づかされてしまった。

 

そして、この作品の本当の主役は、林遣都演じる、牧凌太だと私は思う。

黒澤のキャラ設定は少しフィクショナル過ぎたが、牧みたいな同性愛者の男性はたくさんいるだろうなと思った。

牧が春田の社会的な幸せを願って身を引くシーンは本当に胸が痛くなった。心がぎゅっと掴まれた。

この葛藤を地上波で、しかもエンタメ描いたところが、この作品のハイライトだと思う。

 

この牧の想いを、同性愛者の視聴者はどんなふうに観たんだろう。

異性愛者の視聴者はどんなふうに観たんだろう。

同性愛者は異性愛者がどんなふうに観たんだろうと想像したんだろう。

異性愛者は同性愛者がどんなふうに観たんだろうと想像したんだろう。

 

いくら想像しても当事者の気持ちは当事者にしかわからないんだけど、

受け手に価値のある想像をさせること、

それこそがフィクションやエンタメが存在する意義なんじゃないかなと私は思うのです。

 

こんなふうに、世界にたった一人の自分の、いい感情も、隠したくなるような感情も、えぐってくるような作品が、もっと世の中のたくさんの人の目に触れることを願います。

 

そして私自身が、結局は、そんな作品を創造したいのだ。

 

もうちょっと待っててね。