『夏物語』川上未映子

 

もしも進路相談があって担任に「将来何になりたいの?」って聞かれたら、早押しクイズくらいの勢いで「川上未映子になりたい!」って言っちゃいたいくらい好きな作家さんが川上未映子さんなんだけど、彼女がこの夏にぶち込んできた『夏物語』という長編は、そりゃあもうおったまげ。『乳と卵』の時もぶっ飛ばされたけど、今回もくりびつぎょうてん、盆に誕生日とタピオカとクリスマスと正月、全部まとめて一遍に来やがったって感じでした。

 

これまでブログで散々書いているけど、僕は男性だけど女性になりたいと思っている男で、男と女というものがなんなのかしらっていうことを死ぬまで考え続けていこうと決めているんだけど、先日親族に不幸があって、納棺後に妻から「もしあんたが死んだら棺に何入れればいい?」って聞かれて、真っ先に浮かんだのがスカートで、次は必ず女性で生まれてきますようにってスカート入れて欲しいって言いたかったけど言えなかったのが僕でした。

 そんな僕が読んだ『夏物語』の感想が以下。

※ネタバレあります。

 

読後まず思ったのは、おい他のメンズ!お前はこの夏子の物語をどう読んだんだい?でした。僕は居ても立ってもいられず、一番近所の男友達に電話しようとしたけど、そいつの愛読書がホリエモンの本と『グラップラー刃牙』だったことを思い出して止めました。

『夏物語』は夏子が自分の子どもを産むことを決意し、実際に授かるにいたるまでを描いた物語ですが、川上さんは、登場する女性キャラ一人ひとりをめちゃくちゃ鮮やかに描く反面、男性キャラはほぼ精子としてしか書いていません。まさに現実社会へのカウンター。

男なんて精子製造機。精子さえあればいい。おそらく読後に悲しい気持ちになった男性読者は多かったのではないでしょうか。流しの『九ちゃん』のエピソードが無かったら、僕はちんちんを切っていたかもしれません。

 

なんで悲しい気持ちになったのか。一つ目は自分の中に男として女に必要とされたいという気持ちがちゃんとあったことを引っ張り出されてしまったこと。僕のなりたい女は男の理想の女だったのかもしれません。

二つ目は、大抵の男は女を好きって思っているから、女も思ってるんじゃねっていう希望みたいなものは男性社会が作り上げた幻想で、本当は男なんて全員死ねが女のコンセンサスなのではないかという可能性。川上さんの筆があまりに説得力がありすぎて、おちおちスーパーにも行けなくなりました。

 

そしてさらに悲しかったのは、『夏物語』その大半が、僕の主題である男と女を飛び越えて、命についての物語だったからです。そして読めばわかりますが、命の話はまさに女の話であり、そこには本当に精子一匹の隙間しか男の出る幕はありません。

夏子は本当にぐわんぐわん、振り回され、振り回し、走り回った末、自分の子どもに会うことを決断します。

「忘れるよりも、間違うことを選ぼうと思います」(p525から引用)

この一節をちゃんと読めるのはおそらく女性だけじゃないでしょうか。あぁ悔しい。

 

この夏の人生変えちゃうような川上未映子さんからのメッセージ。

しょうもない精子の僕はどう受け止めればよいのか。

夏子と巻子と緑子の間には、あんなに愛が溢れていたのに、

天気の子じゃなくて、男と女の間には、愛にできることはもうないのでしょうか。

 

「ねえねえ。子どもはどうやって生まれてくるの?」

「ねえ。どうして人は生まれてくるの?」

 

こんなことを無邪気に聞いてくる子どもが僕にはいなくて、少しほっとしながらも悲しいのです。