『イラストレーション展 彼女』 江口寿史

 

しもだて美術館で開催された江口寿史さんの『イラストレーション展 彼女』に行ってきました。

東京にある自宅から電車で二時間ほどかけて茨城県筑西市へ。

僕が行った日は会期の最終日で雨が降っていました。

降り立った下館駅からまっすぐ駅前通りを10分くらい歩くとしもだて美術館に辿り着くのですが、雨の影響か通りには車も人も全然いない。

なのに会場に着くとあれまたくさんの人。みんなここにおったんかい。

 

 僕は江口さんが描く女の子たちにずっと心を惹かれてきました。

そりゃクラスのマドンナにも、ガッキーにも心惹かれてきましたが、江口さんの描く女の子たちは、なんというか、やだー女の子ってやっぱ最高じゃんっていう瞬間とか気持ちを全部ぎゅっとまとめて瓶の中に閉じ込めちゃった感があるんですよね。うーん何言うとんねん。

展覧会タイトル『彼女』のとなりには、「世界の誰にも描けない君の絵を描いている」というコピー。江口さんにとっての彼女はいったい誰なのか、それを考えながら一枚一枚じっくり観て、出口付近でやっていたムービー観て、また入り口戻って今度は一枚一枚観たりパシャパシャ(撮影OK)したりして、またムービー観て、とりあえずもっかいパシャパシャなしでじっくり3周目して、それでも名残惜しい気持ちで出口出たら、たくさん『彼女』たちのパネルが並んでいたのでなんだよくわからなくなって下館から出られなくなりました。

 

 ここからは気に入った『彼女』を見つけたときの僕の心の声。

 

 

まずはコレ

 

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 ぎゃーなんて可愛いの!やっぱりショートボブ最強だ。しかも内側にちょん。

海街diaryのときの広瀬すずちゃんをどうすれば冷凍保存できるか散々悩んだけど、これがあるならもう安心だ。

 

 

次はコレ

 

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いやはや先生!デニムと白Tが全女子の制服だって全部分かってらっしゃるじゃないですか!

中には少し大きめの白シャツとデニムが最高とかいう不届き者もいますが、シャツはジャストサイズですよね!ねー!しかもバックショットとはあっぱれだ!

 

 

こんなことやり出したらどんどん読者の方を置き去りにしちゃうので、最後にコレ

 

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ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!なんじゃこの構図!いったいどうしらこんなの思いつくんですか!オーバーオールと女子が合うことはパフィーaikoあたりで気づいていましたが、まさかオーバーオールとタイヤがこんなに合うとは。あぁ人生、一生勉強だ。あと今度誰かと待ち合わせるときはこの立ち方しょっと。

 

 『彼女』たちと一緒に江口さんのこんな言葉が掲げられていました。

 

「女に生まれなかった悔しさが、絵の原動力になっている。」

 

『彼女』たちに惹かれる理由がはっきりすとんと分かりました。

江口さんも僕と同じだったんだ。街で素敵な女の子を目にするたびに悲しい気持ちになっていたんだ。でも江口さんは本当になりたい自分を絵で叶えようとしていたんだ。江口さんの描く『彼女』は自分なんかもしれんなぁ。でもこんなにこんなに可愛い女の子を描き続けられるのは逆に『彼女』に絶対なられへんからかもしれんなぁ…とか考えながら作品を観ているとなんだか泣けてきました。

 

さらにはこんな言葉も。

 

「女性の何気ない仕草に、母性も無邪気も優しさも生活も、全てを含んだ色気がフォルムになってる一瞬があるんです。」

 

まさにそれです。僕が、やだー女の子ってやっぱ最高じゃんって思うのはまさにその瞬間なんです。でも自分が男に生まれたからこそその瞬間に気づけるのかもしれんなぁとも思いました。

 

展覧会で一番驚いたのは女性のお客さんがめちゃくちゃ多かったところ。

江口さんの描く女の子は男の理想を詰め込んだだけの女の子なんかじゃなくて、リアルガチ女子たちからも、柴犬とかマカロンばりにカワイイって言われていました。女子たちがどんな気持ちで『彼女』たちを観ていたのか聞きたかったなぁちくしょう。

 

その日東京に戻った僕はなんとなく吉祥寺に行っちゃいました。

吉祥寺の街を歩く女子たちは『彼女』たちみたいにキラッキラ。

あぁ、ほんと女に生まれたかったな。

 

 

雨降る前に帰っておいで

 

「雨降る前に帰っておいで」

 

あの人に言われていちばん好きだった言葉

 

たくさん好きなところあったよ

 

急いでいても信号守るところ

雨上がりに必ず傘忘れるところ

買った靴を履いて帰るところ

なんでもハチミツかけるところ

改札で一か八かピッてしてみるところ

よく喋るのに時々静かに読書しているところ

ビールの一口目けっこう飲むところ

自転車乗るのが下手なところ

意外に花の名前知ってるところ

考えがまとまるまでちゃんと待ってくれるところ

 

そんな好きなところ

もうなくしちゃったから集める

思い出してかき集める

 

また他の誰かを好きになるために

 

 

『夏物語』川上未映子

 

もしも進路相談があって担任に「将来何になりたいの?」って聞かれたら、早押しクイズくらいの勢いで「川上未映子になりたい!」って言っちゃいたいくらい好きな作家さんが川上未映子さんなんだけど、彼女がこの夏にぶち込んできた『夏物語』という長編は、そりゃあもうおったまげ。『乳と卵』の時もぶっ飛ばされたけど、今回もくりびつぎょうてん、盆に誕生日とタピオカとクリスマスと正月、全部まとめて一遍に来やがったって感じでした。

 

これまでブログで散々書いているけど、僕は男性だけど女性になりたいと思っている男で、男と女というものがなんなのかしらっていうことを死ぬまで考え続けていこうと決めているんだけど、先日親族に不幸があって、納棺後に妻から「もしあんたが死んだら棺に何入れればいい?」って聞かれて、真っ先に浮かんだのがスカートで、次は必ず女性で生まれてきますようにってスカート入れて欲しいって言いたかったけど言えなかったのが僕でした。

 そんな僕が読んだ『夏物語』の感想が以下。

※ネタバレあります。

 

読後まず思ったのは、おい他のメンズ!お前はこの夏子の物語をどう読んだんだい?でした。僕は居ても立ってもいられず、一番近所の男友達に電話しようとしたけど、そいつの愛読書がホリエモンの本と『グラップラー刃牙』だったことを思い出して止めました。

『夏物語』は夏子が自分の子どもを産むことを決意し、実際に授かるにいたるまでを描いた物語ですが、川上さんは、登場する女性キャラ一人ひとりをめちゃくちゃ鮮やかに描く反面、男性キャラはほぼ精子としてしか書いていません。まさに現実社会へのカウンター。

男なんて精子製造機。精子さえあればいい。おそらく読後に悲しい気持ちになった男性読者は多かったのではないでしょうか。流しの『九ちゃん』のエピソードが無かったら、僕はちんちんを切っていたかもしれません。

 

なんで悲しい気持ちになったのか。一つ目は自分の中に男として女に必要とされたいという気持ちがちゃんとあったことを引っ張り出されてしまったこと。僕のなりたい女は男の理想の女だったのかもしれません。

二つ目は、大抵の男は女を好きって思っているから、女も思ってるんじゃねっていう希望みたいなものは男性社会が作り上げた幻想で、本当は男なんて全員死ねが女のコンセンサスなのではないかという可能性。川上さんの筆があまりに説得力がありすぎて、おちおちスーパーにも行けなくなりました。

 

そしてさらに悲しかったのは、『夏物語』その大半が、僕の主題である男と女を飛び越えて、命についての物語だったからです。そして読めばわかりますが、命の話はまさに女の話であり、そこには本当に精子一匹の隙間しか男の出る幕はありません。

夏子は本当にぐわんぐわん、振り回され、振り回し、走り回った末、自分の子どもに会うことを決断します。

「忘れるよりも、間違うことを選ぼうと思います」(p525から引用)

この一節をちゃんと読めるのはおそらく女性だけじゃないでしょうか。あぁ悔しい。

 

この夏の人生変えちゃうような川上未映子さんからのメッセージ。

しょうもない精子の僕はどう受け止めればよいのか。

夏子と巻子と緑子の間には、あんなに愛が溢れていたのに、

天気の子じゃなくて、男と女の間には、愛にできることはもうないのでしょうか。

 

「ねえねえ。子どもはどうやって生まれてくるの?」

「ねえ。どうして人は生まれてくるの?」

 

こんなことを無邪気に聞いてくる子どもが僕にはいなくて、少しほっとしながらも悲しいのです。

 

 

学童クラブで働く

 

学童クラブでアルバイトをしています。

学童クラブとは、放課後の時間帯に家庭で子どもを見守る家族がいない世帯の小学一年生から三年生の児童を対象とした、一時預かり事業です。

通常であれば児童の放課後、14時頃から18時の4時間程度を見守る仕事ですが(土曜日は一日預かり)、夏休み期間になると、約一か月間、まる一日児童を預かることになります。普段の倍の人手がいります。図書館に臨時職員募集のチラシが掲示されます。求職中の為、家でエアコンをつけることさえ忍びなく、図書館に入り浸っている僕の目に留まります。保育士を志していますがまだ資格が無い僕にとってはぴったりの仕事やーんと思い応募しました。

 

田舎育ちで祖父や祖母が常に家にいた僕にとって、学童クラブは未知の存在。働き始めてからは驚きの連続でした。

 僕の勤務しているクラブはとある小学校の教室の一つを間借して事業を行っています。

児童数は日によって変動はありますが25人から30人ほど。

一日のスケジュールを大雑把に記すと以下のようになります。

 

登校

読書(漫画もOK)

自習(夏休みの宿題をやる)

遊び

昼食(持参した弁当を食べる)

読書(食休み)

午睡(一時間程度)

遊び

おやつ

遊び

読書(漫画もOK)

下校

 

このスケジュールを見て言えることは、とにかく遊びが多いということ。

勉強をしているのは午前中のわずか一時間のみで、その勉強も、わからない問題が出てきたら飛ばして、帰ってからお家の人に聞いてくださいスタイルです。じゃあ僕たち臨時職員はその間何をしているかというと、「静かに」と言いながらクルクル児童の周り回っているだけ。勤務初日、一人の児童に「先生ここわかりません」と聞かれ、無職の図書館徘徊オジサンから一気に先生に進化したやーんと嬉しくなって、解き方を教えたら、古株の先生に怒られてしまいました。後に家族が宿題をチェックした際に正解になっていたら子どもが理解したと解釈されてしまうから、教えてはいけないそうです。なんでやねーん。学びたいと思ったときに正解が出るまで考えるのが一番大切やん!と思いましたが…。まぁ教員と指導員は違う仕事なので仕方ありません。

 

学童クラブの一番の特徴は違う学年の児童が一緒に過ごすところです。一年生が行儀が悪くて三年生が注意するような構図を想像していましたが、全く違っていて、行儀が悪いのは大抵三年生でした。

自分が小学三年生になったつもりで想像してみてください。低学年だからといっても、彼らは頭も心も体も十分発達しています。それなのに貴重な夏休みの毎日を、狭い教室に閉じ込められるのです。全身を目一杯使って遊びたいのに、熱中症予防で、プールにもグランドにも体育館にも行かせてもらえない。教室の中には既に読み終えた、ドラえもんドラゴンボールかいけつゾロリ等の本と、こちらも遊び飽きたトランプや、レゴや、野球盤等のゲームしかない。(ここに近い将来iPad等のタブレット端末が置かれたら日本は良くも悪くも新たなフェーズに向かうと思います)そしてちっとも疲れていないのに午後になったら一時間昼寝しろと言われる。まさに大人の都合という鞭の拷問です。僕なら発狂してます。というか既にみんな発狂して教室内を飛び回っています。そんななかでも一日をなんとか楽しく過ごそうと工夫を凝らす彼らを僕は尊敬します。

※気温が低いときは、もちろんグランドや体育館に出て遊びます。あいつらマジ楽しそうに遊びます。

※市町村も、おそらく少ない予算をなんとかやりくりして新しい本やゲーム盤等を購入し設置し続けています。新しいゲームが来たときのあいつらの笑顔マジ半端ない。

※※なんだかんだで全部ひっくるめても、ドラゴンボールの人気はやっぱり半端ない。まさか令和になっても子どもが気円斬撃ち合ってるとは。鳥山先生あんた凄いよ。

 

臨時職員の先生は大抵年配の方が多いから、夏休み期間中で大学生の若いお兄さん、お姉さん先生が来たりすると児童たちのテンションはガチアゲになります。なかでも児童福祉分野を志すのはやっぱり女性が多い為、若い男の先生が来ると、レアポケモンゲットだぜ的な感じで凄まじい人気です。

僕は三十代半ばで全然若くないですが、定年退職後に働かれている臨時職員さんよりは大学生の先生側にカテゴライズされるみたいで、僕なんかにも、ちょっと髭が濃いなと怪訝な顔をしながらも児童たちは寄ってきてくれます。

とくに寄ってくるのは小学一年生の女子児童たちです。僕からはちみつでも出てるんじゃないかっていうくらいどんどん寄ってきます。

昼食時、ある女子児童が「お父さんには土日しか会えない。いつも朝早くて夜とっても遅いんだよ」と嘆いていました。

みんな普段甘えられないお父さんの姿を僕に重ねて寄ってきてくれているんだと思います。日本のお父さんたち、マジお疲れさまです。

そしてその子のお弁当がなんとまあカラフルで可愛くて美味しそうなことか。

僕も弁当を作って持参しているんですが(冷凍食品のおかずをぶち込んでいるだけ)、別の女の子から「先生のお弁当なんか変」って真顔で言われてしまい、その子のお弁当の中身を覗くとまぁなんということでしょうピカチュウオムライスー。「うちなんかコレ入ってる」、「私のこれ見てよ」、あぁ小学生から既にマウント合戦が始まっている日本のお母さんたちマジリスペクトだよ本当に。

※平然とコンビニのサンドイッチを嬉しそうに食べている児童もいます。お母さんたちあまり無理しないでくださいね。

 

学童クラブで働き始めて一番良かったのは、子どもの寝顔が見られたことです。

僕は子どもがいないので、遊び疲れた子ともがだんだん寝静まっていく姿を初めて間近で見ました。この世界で最も素敵なものだと思いました。

安心して眠っている子どもの表情って本当に愛おしくて、絶対に守らなきゃいけないものだと思いました。

 

ビジネスパーソンのみなさん、会議や研修を一つとりやめて、ぜひ一日学童クラブで働いてみてください。仕事や生き方に対する考え方が変わると思いますよ。

 

 

そうだ、保育士になろう

 

保育士を目指すことにしました。

 

 

そう決心するにいたるまでのお話。

 

このブログで何度も申しておりますが、僕はサッカー選手よりも社長よりもなによりも女の子になりたかったのです。

齢30を過ぎて初めて東京で暮らすことになり、そこに生息する様子がおかしい人たちを目の当たりにし、「あぁやっぱり自分の好きに生きていけばよかったんやん」って背中押された気がして、妻に「実は女の子になりたかったんだよ」ってカムアウトしたら、「あっそれ中二病だよ」って言われたけれど、それでもAmazonプライムで『グータンヌーボ2』とか『東京女子図鑑』とか観ている時が一番幸せな自分がそこにいることは紛れもない真実なのだから、ずっとくすぶり続けていた「女の子になりたい」がここ東京の地でバーストしたんです。

とくにここ最近は、ビジュアルが女の子に見えるように髪を伸ばしたり、服もなるたけ中性的なものを好んで着用してまいりました。

そして分からないことは人に聞くということをようやく思い出して、リーやヴェリィやミーナ(最近はデザイナーが変わったのかめちゃくちゃ可愛い誌面になったよね)を立ち読みするだけの自分は止めて、女ともだちにメイク指南を依頼しました。

その際「私メイク苦手なんよー」と言いながらその女ともだちが連れてきたのが、なんと自称杉並区一位のメイク女子だったのです。

メイク講習会はその方のご自宅で行われました。

杉並区一位は毎日のスキンケアはもちろん欠かさないし、エステ等にも定期的通われていて、お肌はつるすべ。ベースメイクの大切さを永延と語り、洗顔時はまさにシルクのような泡玉をたちまちお作りになられました。講習後、杉並区一位のクローゼットの中を拝見させて頂く機会に恵まれましたが、杉並区一位は殿方の趣向やTPOに合わせて変幻自在にコーデを変えられる多彩な服を揃えておられました。「あれやったら好きなの着ていいよ」この言葉で僕の理性は崩壊し、姿見の前のランウェイで杉並区一位と僕二人きりの『杉コレ』が開催されました。女ともだちは終始寝転がって『ちびまるこちゃん』を読んでいました。

 

その日は僕にとって夢ような一日であり、それと同時に絶望の始まりでした。

女性が「女」たるのがどれだけ難しいことか、杉並区一位に実感させられてしまったのです。

彼女の努力を見て、合コンとか婚活パーティーで「何で俺らの方が多めに払わなあかんのや」とかぶつぶつ文句を言っている男どもをどつきまわしてやりたくなりました。

お前らなんか、石鹸で顔洗って、せいぜい600円くらいのギャツビーつけてカッコつけとるだけやろがドアホ。お前らの目の前でキラキラスベスベしっとりしてくれてはる女子は毎月キレイになるためになんぼほど金かけとるのかわかっとんのかドアホ。お前らなんか差額分、冷え切ったから揚げでも食べて満足しとけ知らんけど。

こんな想いが彼女から伝わってきて、あぁ軽々しく女の子になりたいとか言われへんなと思いました。

そして極めつけは、杉並区一位が毎日大切に大切に労り守り続けているお肌に、僕はあろうことか毎朝刃をあてがいスライドしているという事実。

あぁもうこれじゃ女の子にはなられへんな。

 

しかし、その時僕は、女の子になったあかつきには、いったい何がやりたかったのかしらんとも考えたのです。

ドラマの水川あさみ様みたいにヒラヒラした服を着て六本木やらをカツカツ歩き周りたいだけなのか。田中みな実様みたいに革のソファーにちょこんと座って「はぁ、恋するとすぐ痩せちゃう」とか言いたいだけなのか。

僕のなりたい女性像をゆっく時間をかけてイメージしたら、小さい子どもあやしている、別にあやしてなくても「そんなん買うか!」ってしばき倒していてもいいんですが、子どもと一緒にいる女性の姿だったのです。もっと言うと、子どもとお母さんが二人で表出している何とも形容しがたい、やわらかくてあたたかいオーラを僕も身につけて生きていきたいという感覚だったのです。

僕は女の子じゃなくてお母さんになりたかったのかしら。

お母さんは女の子により、よりなられへん。

じゃあなるたけ近づくとすれば保育士さんやん。

 うんそれになりたいと僕は思ったのです。

 

これまでいろいろ仕事をやってきたけど、ややこしいことばっかり。

でも保育はとにかく目の前の子どもに「あんたが生まれてきてみんな幸せやで」って伝えるだけでいいんかなって、それって一番シンプルで素敵な仕事やんかとか思うんですよね。

 

とりあえず保育士になって初任給貰ったらそれでヒゲ脱毛しようと思います。結局それかい。

 

 

『Shall we ダンス? 』 周防正行

 

久しぶりに『Shall we ダンス?』を観た。

僕にはイギリス人のダンサーの友達がいて、先日彼らの試合をブラックプールまで行って観てきたから、その流れで映画を観返した。

 

この映画は本当に素晴らしいと思う。

だからこそハリウッドでリメイクもされた(結末はかなりアメリカナイズされていたけど)。

 

一体何が素晴らしいかというと、役所広司草刈民代の関係性である。

彼らの関係は恋人でも夫婦でも友人でもない。

ダンスを介した先生と生徒という関係性はあるが、それ以上のものが二人にはあるように見える。

これを浮気と片付ける人は一生この映画の素晴らしさに気が付けない。

 

ひとりの人間と人間が知り合うのにきっかけなんてなんだっていい。

そのふたりがふたりにしか到達できない関係になることが最も素敵なことであって、この映画はその典型である。

 

草刈はダンスを役所に教える過程で、踊ることの楽しさを再発見した。

役所は草刈のお陰で世間体という殻を破って人生に情熱を持つことができた。

こんな読みは全然つまらなくて、おそらくふたりは男と女がお互いを好きと思う気持ちを超えた、なんだかよく分からない感情を共有したのだと思う。

 

この言葉にできない何かが僕のいちばん大切にしたいもので、それを経験したくて、表現したくて生きているだけなのだ。

 

女性専用車両が走る国で社交ダンスの映画、その後の作品は痴漢がテーマ。周防監督のセンス半端ない。あっぱれ。

 

 

会いたい

 

もう連絡しないからなんて言ったけど、そんなの強がりにきまってんじゃん。

全然ラインしてこないとかマジ辛いんだけど。

 

一線越えるのが怖くなっていきなり正論ぶちかましてきやがってさ。

好きになったのはお互い様じゃん。

ビビるくらいなら昔のこと思い出して泣いたりすんなよ。可愛く笑うなよ。別れ際寂しい顔すんなよ。

もう会えないのかな。

ほんと辛いな。

 

やることなくてあなたの名前ググったら、なんかちゃんと仕事してたみたいで社内報だと思うけど写真付きの記事とか出てきて、あなたは私に一枚も写真残さなかったからずっとずっとそのページ見てる。

やっぱり好きな顔。ちゃんと楽しそうじゃん。

 

私じゃない人と幸せになるのかな。

その人と一緒にいるときに、私のこと思い出したりするだけじゃ、やっぱり物足りない。

こんなこと書きながらも、あなたから連絡が来ることを信じているから、それが悔しくて悲しくてたまらなく会いたい。