人生30過ぎてからでしょう。

好きな本、映画、日々考えていること、気の向くままに書きます。

『女になる』 田中幸夫

 

本気の映画でした。

この映画のレビューは、中途半端な気持ちじゃ書けませんね。

がっかりさせない期待に応えて素敵に楽しいいつも俺らを捨てます。

 

ネタバレあり。

 

 

まずはあらすじ。

主人公の中川未悠さんは物心がついた頃から、自分にちんちんがついていることに違和感を抱いている男性。

気持ちも身体も本気でぶつかることができない恋愛を繰り返しながら、社会人になるまでには絶対に女になろうと着々と覚悟を決めていきます。

映画は大学2年生の彼女が性転換手術を受けるまでの半年間が描かれています。

映画的な演出や展開なんてほとんどありません。

男が女になる。それだけ。

 

 そもそも、男に生まれた人間が、女になるというのは、神様が決めたことにあらがうことであり、それはお金とか時間とかルールとかそういった細々した人知を飛び越える、つまりは他人や自分を殺めたりする行為くらい、人間の世界では異質な行いなのではないかとか僕なんかは思います。

 

僕も昔から自分の性別に違和感を抱いていて、隙あらば女になりたいとか思っていた人間ですが、僕の「女になりたい」と、未悠さんの「女になる」には、「あー明日会社行くのやだなぁ。マジこんな仕事続けるくらいなら死んだ方がマシやなぁ」と「いま死にます」くらい切迫感が違うのです。なんというか己の生に対する切実さが半端じゃない。

 

未悠さんは映画の中で、恋愛はつまるところセックスであり、自分の大好きな相手を満足させられないことが耐えられないと話します。

そんな彼女は物語の終盤で、6時間にも及ぶ手術を行い、ついに男性とセックスができる身体を手に入れます。

僕みたいなあまちゃんだと、映画の間中ずーっと未悠さんが可愛いくて可愛いくて、彼女の幼なじみも「未悠は男性の姿をしていた頃から女性にしか見えなかった」って言うくらい、それはもう女の子で、仕草とか目線とか話す言葉とかぜんぶ本当に可愛いくて、神様にあらがってまで、身体を女にする必要なんて全然ないじゃないかとか思ってしまうのですが、たぶんそんなのはあまちゃんで、もうぜんぶ飛び越えても好きな人とセックスしたいっていうのが、男と女の真なのかなとか、未悠さんのとびっきりの覚悟を見て、僕はそう感じました。

 

神様が未悠さんを男で作ったことは、未悠さんにとって本当に本当につらかったことかもしれませんが、なんせ可愛いかったぞ未悠さん!以上。