本田のスルーパスからの長友のダイレクトクロスを岡崎がダイビングヘッドで決めたら一億円

 

9月1日から、サッカー日本代表のロシアW杯アジア最終予選が始まる。

ぜひ6大会連続の本戦出場を決めて欲しいものである。

 

サッカーが始まると、世界で一番優しい夫であるはずの僕が、嘘のように亭主関白になって、ハイパーメディアクリエーターである妻を怒らせてしまう。

自分でもどうしてそうなってしまうのか解せないのだが、妻がキッチンでトントントンとやりながら「ねぇ、飲み物何にする?」とか聞いてくれているのに、僕はテレビに向かって「よっしゃー、本田!行け!お前の全てを見せてみろ」、「真司!いったい何をやっているんだ、本当のお前はそんなもんじゃないだろ」、「長友!お前は何のためにイタリアに渡ったんだよ、世界一のSBになるんじゃなかったのか」とか喚き散らし、普段であればその後妻が運んで来てくれた食事を「うんまい、うんまい、お前さんはすごい!まさにうちの鳥越シェフだよ、あれ?それは都知事になれたかった人かな」とか褒めながら一口ごとに妻とハイタッチして食べるのに、サッカー観戦中になると、それらの料理に目もくれず、「オカザキーーーーーーー!」とか叫びながら、ただ食材を箸で突き刺し、機械的に口に運ぶだけなのである。

とある試合終了後に、妻から「サッカーのどこが面白いの?」と聞かれた。

僕には「なぜ赤信号は渡っちゃいけないの」とガキんちょが戯言を抜かしたように聞こえたので、口を開いたまま天井を眺めて阿呆を演じていた。

妻は続ける。「全然面白くないんだよね。点数ちょっとしか入らないし。オフサイドとか何それって感じだし。だいいち、なんで足でやるの? お行儀悪くない?」

僕の頭には初めて『離婚』の二文字が浮かんだ。

というのは言い過ぎだけど、その後一生懸命、本田のスルーパスからの長友のダイレクトクロスを岡崎がダイビングヘッドで決めることが、宝くじで一億円当てるくらい奇跡のような出来事であるということを長々と分かりやすく丁寧に、スマホをひゅいひゅいとやりながら聞いている妻に説明したけど、ちっとも理解してもらえなかったので、悔しいので、この場を借りてもう一度説明させていただく。

 

まず、眩しいくらいに青々としたピッチの上に本田圭佑が日本代表のユニフォームを着て立っている。

この姿を見るだけで僕くらいになれば目頭が熱くなってくる。既にハイボールをあおっているなら泣いてしまっても仕方がない。

本田の後ろには本田を目指してサッカーを続けている何万人もの無名な選手たちがいる。

本田の前には本田が憧れた、中田やカズなどたくさんの有名な選手たちがいる。

それら全部を背負って本田はピッチに立っているのだ。

 

本田が相手のボールをカットして、左サイドを駆け上がってくる長友に絶妙のスルーパスを送る。

もちろん本田がボールをカットする相手選手も、本田と同じくらい有名無名の選手の想いを背負っている。そんな選手が簡単にカットされるはずがない。カットというのはミスや油断からくるものである。国の代表が平常時にミスや油断をするはずがない。本田は経験と綿密な準備によって相手のミスや油断を誘うのである。

 本田がボールを奪う。奪われた選手が取り返そうと本田の脚にスライディングする。日本中が「おい!ファールだろ!」と叫ぶ。だが本田は倒れない。

中田英寿より以前の選手はここで倒れてファールをアピールしていた。元ヴェルディ川崎の北澤とかはウェービーロングヘアーを揺らしながら「イタイヨイタイヨ勘弁してヨ。アミーゴ」とか言っていた(はずである)。しかし中田という選手はそこで倒れていては世界で通用しないことを日本サッカー界に身をもって伝えた。

ちなみにアスリートの脚と脚が本気で衝突するというのは石と石が当たるようなものなので条件が整えば、最悪の場合、出火する。僕も高校生のとき、球技大会で、バスケ全国大会優勝チームの選手とリバウンドで争ったことがあったが、その選手に横からぶつかったとき電信柱かと思った。アスリートの身体はほとんど石である。

 

体勢を持ち直した本田は、絶妙のスルーパスを長友に送る。それはまさに針に糸を通すように、全力で駆け上がってきた長友の左足だけに届く。必死で追い付いてくるディフェンダーを横目に長友はトラップやめ、ダイレクトでゴール前にボールを折り返す。

ここでトラップしていては、無論相手に追いつかれる。いったんトラップして相手をドリブルで抜いてクロスを上げる方法もあるが、その場合ゴール前にディフェンダーが戻る時間を作ってしまう。勝負は一瞬。本田もそれをイメージしてダイレクトで上げるしかないギリギリのところにボールを送る。

ちなみにサッカーは一試合に約11キロくらい走るらしい。僕もマラソンが趣味で一日おきに11キロくらい走っているが、僕の場合は、あらあらあのお花キレイだね、あらあらあの車に乗ってるお姉さんキレイだね、という具合のあらあらランニングだ。しかし長友の11キロはそのほとんどが鬼の形相でのダッシュである。

おそらく長友はサッカーを始めてから正確なクロス上げるための練習を一億回くらいやっているだろけど、そのほとんどがこの一瞬のシーンより蹴るのが楽な状況なのだ。10キロ近くダッシュを続けたあげくに、これまでで一番強いディフェンダーを相手にしながら、かつ一番厳しく、そして日本中の期待を一身に背負ったパスを本田が出してくる。長友はそれを、岡崎の頭だけに確実につなげなければならない。そのために彼はイタリアに行ったのである。

一方の岡崎はずっと仲間を信じて、ただひたすら走り続けている。彼はディフェンスもやるフォワードなので、ピッチのほとんどの範囲を走る。前後半90分、全力でゴール前に戻り続けても一度も正確なパスが回ってこないかもしれない、それでも彼は絶対に来ると信じて走り続ける。本田なら、長友なら、絶対にクロスを上げてくれる。彼はサッカーを始めたその日から、ずっと仲間を信じてきたのだ。誰もいなくなったグラウンドで、つながってきたパスは絶対に決めてやろうと誰よりも愚直にシュート練習をしてきた人なのだ。

本田も長友も岡崎も、天才ではなかった。

みんなチームメイトの誰よりも足が遅く、シュートが下手くそだった。

「おまえみたいな奴がJリーガーになれるかよ」

3人ともそう言われ続けて、そしてそれをはねのけてきた。

3人より上手かったやつがどんどんサッカーをやめて、そいつらより上手い仲間ができて、またバカにされて、今度はそいつらもやめて……そんなことを繰り返していたら3人は日本代表として出会うことになった。

本田なら絶対パスをくれる。長友なら絶対クロスを上げてくれる。岡崎なら絶対決めてくれる。

この1点というのは日本でいちばんサッカーが好きな3人の笑えるくらいに純粋な信頼の形なのである。

 

岡崎の頭から放たれたボールが、キーパーの手をかすめてゴールネットを揺らす。

その瞬間僕は立ち上がり、涙を流して叫ぶ。

「オカザキーーーーーーー!」

僕は妻に駆け寄る。「見た? 今の岡崎、見た?」

「あ? よっしゃー! ゼニガメ、ゲット!」

ゼ、ゼニガメ? 

ゼニガメやるやん。岡崎、さらに頑張ろうか。

 

誰か、僕にポケモンGOの面白さを説明してください。

 

恐怖のモデルカット

 

先日、モデルカットなるものを経験した。

街で偶然イケメン美容師に声を掛けられて、可愛いからお店のホームページの写真に使わせて欲しいということで、キラッキラにしてもらった……というわけではなく、妻の知り合いの美容師の卵がスタイリストとしてデビューするためには事前に生身の人間を50人切りしなければならないらしく、その女は、まず妻の髪を切り刻み、震える彼女の頭を鷲掴みにしながら「髪の生えている奴なら誰でもいいからあと3人連れてこい」と脅したらしく、髪も心もボロボロになって帰宅した妻は、泣きながら僕に「どうかお前さんも生贄になってくれないか」と懇願してきた……つまりはそういうモデルカットだった。

 

そもそも僕は美容室が嫌いだ。何故なら昔から自分の性別に違和感があるため、髪型とか服装とかは基本的に放っておいて欲しいのだが、美容室に行くと、必ず薄汚い男ばかりが載った雑誌を渡され、その中から希望のスタイルを選ばなくてはならないからだ。

僕は一応ページの中に井川遥知花くららを探してみるが、見つかるのは大体、所ジョージジローラモで、僕は渋々井川遥を諦めてジローラモになるのだった。

そしてその惨劇を目の前に備え付けられたオーロラビジョンならぬ大きな鏡でずっと目に焼き付けなければならない。雑誌を読めばいいではないかと思うかもしれないが、カットが始まると、僕と外界を鮮明に繋ぐメガネはいつもスタイリストによって奪われてしまうのだ。

 

こんなふうに僕にとって散髪という行為はいつだって拷問みたいなものなのだが、今回のそれはさらにスリリングなものだった。何故なら妻を瀕死の状態にしたその美容師の卵は恐ろしくダサい女だったのである。

僕がこれまで暮らしていた世界では美容師という人種はそれなりに美しさにこだわりを持っているはずだったが、目の前に現れた女は、ひとクラスに必ず2人くらいいる、オタク系の女で、雑誌はスウィートやノンノはおろか、ミョウジョウすら読まず、公募ガイドくらいしか手に取ったことが無さそうだった。女は誤って3回くらい踏んだことがありそうな銀縁メガネの位置を気にしながら(鼻の高さがほとんど無いからだ)、「今日、どんな感じにしますか?」とぬかしてきた。右手でいっちょまえにハサミを構えていたが、ガーデニング女子の方がまだマシだと思った。

女は僕の髪をこねくり回しながら「かなりのびてますね。バッサリやっちゃいます?」と言ってきた。「あっさり殺っちゃいます?」と聞こえた僕は身の危険を感じ、雑誌を持ち上げ、とっさに「これでお願いします!」と言って指差した先には所ジョージが単車に跨っていた。「所ジョージですか? カラーリングは別途料金を頂くことになりますけど?」「あっカラーは結構です」女の中にカラーリングという語彙があったことがわかって少しほっとした。

 

どこかで、人間は視覚からの情報が9割と耳にしたので、僕は目を閉じた。

そして安らかな眠りが僕を包み込んでくれることを心から期待した。

女の指が僕の髪に絡みつき、ハサミを入れる気配がする。

「ジャキ、ジャキ、邪気」

女がハサミを使っている間、僕は砂利を食しているような錯覚に陥った。

このままだと死んでしまう。流れを変えるべきだ。変えよう。流れは自分で引き寄せるもんだって、スラダンの宮城も言ってたさ。

僕は勇気を振り絞って核心から突く。

「何で美容師になろうと思ったんですか?」

「え?」

「だから、何で美容師になろうと思ったんですか?」

「え?」

僕は、30年以上愛用し、しかも他人よりも少し上手に扱えているんじゃないかと自惚れていた日本語の語彙や文法表現を真っ向から疑った。

「すいません。切るか話すかどっちかしかできないんですよ……。話します?」

「いえ、切ってください」

 

目を開けると、所ジョージでもジローラモでもない、シメジメオとでも呼ばれそうなキノコ頭の男が椅子に腰かけていた。

「そろそろ終わりますか?」

「え?」シメジメオは耳を疑った。

そろそろ終わりますか? そう言ったのは、ほかならぬ卵女だった。

まさか俺が終わりを決めるのか。何て斬新なカットなんだ。

ジメオは言葉を失い、茫然と鏡を見つめながら己の毒の有無について考えをめぐらせた。

「ちょっと先輩に見てもらいますね」といって卵女は鏡から消えた。鏡の中にはジメオだけが取り残された。

しばらくすると、その店のトップスタイリストがジメオのかさの下あたりから顔を出した。

「こんにちは。お疲れ様でした。少し失礼しますね」

トップスタイリストは僕の知っている美しさにこだわりを持っているたぐいの美容師の女性で、僕の頭にそっと触れると、櫛を使って髪の長さや量を確認した。

隣では卵女が、己でこしらえたキノコの前衛アート作品をどや顔で眺めている。

トップスタイリストは「ちょっと見ててね」と卵女に呟き、ハサミを入れ始めた。

「シャキ、シャキ、ウキ、ウキ」

なんて心地の良い音だろう。ハサミが入る度に心が軽くなるようだった。

もし、僕が独り身であれば、すぐさまこのトップスタイリストに求婚していたであろう。

シメジメオはあっという間に黒髪の所ジョージに変身した。

しかし彼は本当は、井川遥になりたかったのである。

 

帰り際、今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えながら僕はもう一度卵女に尋ねた。

「何で……でも何で……いったい何で美容師になろうと思ったんですか?」

「え? 今の時代、手に職っすよ」

 

おそらくこのブログがアップされる頃には、卵女はスタイリストにかえっているかもしれない。

考え様によっては彼女こそが、全ての常識を覆し、僕を井川遥に仕立て上げることができる、僕が待ち望んだ、唯一のスタイリストなのかもしれない……ってそんなわけないか。

 

 

ことばのおはなし

 

言葉が好きでたまりません。

僕から言わせれば人間は言葉でできています。

新しい人と出会うときは、いつもその人が話す言葉に注目します。

学があるかないかというより、言葉の組み合わせとかバランスとかそんなのが気になります。

コミュニケーションの9割は、その内容ではなく、その他の非言語的な部分であるとか言っちゃう人がいますけど、そんな人は言葉の本当の力を知らない人です。

僕なんかは、「お嬢さんをください」の日、パーマネントウエーブへアーかつタンクトップ姿で彼女の実家に伺いました。熱い夏の日でした。

それでも僕の言葉に彼女とお義母さんは涙を流し、お義父さんは握手を求めてきました。

大切なのはいつだって内容です。自分の想いをちゃんと自分の言葉で話す。それに尽きます。

人は見た目が9割とか言っちゃう人がいますけど、そんな人は言葉の本当の力を知らない人です。

僕は長い間、世界の人間の中でいちばん好きなのは、モデルの田中美保ちゃんでしたが、彼女がネットかラジオで喋っている姿を見たとき、落胆したことを覚えています(美保ちゃんごめんなさい。ただ稲本さんに嫉妬しているだけなのよ)

それ以来、僕の世界一はヒューグラント様でほぼ固まっています。

 

まぁ前置きはこのくらいにして、そんな言葉バカの僕がおったまげた表現を紹介します。

 

まずはCHAGE&ASKAさんの『SAY YES』に出てくるこの部分です。

 

このままふたりで夢をそろえて

何げなく暮らさないか

 

「夢をそろえて」ですよ。箸とか靴ならそろえたことありますけど、夢をそろえるなんて。

もう広辞苑の『結婚』の意味を『ふたりが夢をそろえること』にすればいいんですよ。

これは夢をひとつにでも、夢をかさねてでもダメなんです。

夢をそろえる……、なんて丁寧で優しくて温かい表現なんでしょうか。

この2行だけで、ふたりのこれまでとこれからがあふれてきますね。

 

お次は、スポーツブランド、ナイキの有名なキャッチコピー『JUST DO IT』を村上春樹さんが翻訳したらこうなりました。

 

JUST DO IT

黙ってやれ

 

こういう訳はただ英語の文字を見て考えているだけじゃ浮かんできません。春樹さんは自らもマラソンをやっているし、何かのエッセイの中で、アメリカのナイキ本社の施設内にあるランニングコースを走ったことがあると書いていましたが、そういった経験がこんな力のある訳を生むんです。たぶん。

 

最後は番外編。僕は仕事柄障害を持った人たちと関わることが多いんですが、彼らの中には言葉を持たない人たちもいます。冒頭に人間は言葉でできているとか言っちゃいましたが、そんな彼らを身近に感じているからこそ、そう言えるというか、じゃあ彼らは人間じゃないのかとか、そこらへんは最近書いた小説で描きましたのでもし出版されたら読んでください笑

この間障害を持つみんなと紙粘土でいろいろ作って遊んでいたら一人の男性が得体の知れない形のものを作っていたので「何つくってるの?」って聞いたら、「海つくってる」って言われました。たいへんびっくりしました。

 

ロックの日に

 

どうもさるたこです。

本日、ついに長いことかけて書いていた小説が出来上がりました。

いやー大変だった。

自宅のプリンターの前にちょこんと座って、しゃ、しゃ、しゃっと出力されていく原稿を見るのは本当に感無量です。

僕が並べた文字だけで出来上がる紙の束……うん、今回も有森裕子ばりに頑張った。

 

僕はマラソンが趣味なんですが、登場人物たちと一緒に走った42キロが今日終わったって感じです。

これからハイパーメディアクリエーターの妻に読んでもらったり、日を置いて推敲したりして作品の精度を高めていく過程に入るわけですが、とにかく、もうアイツらと一緒に走れないと思うと寂しくて寂しくてふるえます(フロム西野カナちゃん)

 

このロックの日に出来上がった物語が、小説の神様の目にとまって、少しでも多くの人に読んでもらえればこれ幸いです。

内容は全然ロックと関係ないけどね。

 

そう言えばロックの日で思い出したけど、古い友達にかなりロックな奴がいて、そいつの家に行って、そいつの服を着たら「お前、俺よりその服似合うな! やるわ!」って服をくれたり、久しぶりに会ったそいつの携帯の待ち受けが手のレントゲン写真だったから問い詰めたら「あぁこれな、ケンカしたらヒビ入ったから記念にな!」って答えたり、そりゃ大層ロックな奴で、僕はもう耐えられなくて「お前相当ロックやな」って言ったら、「さるたこ、ロックなだけじゃだめなんや。ロックして、その後ロールしないと」って言ってたけど、今だによくわかりません。

 

クアラルンプールなう

 

ゴールデンウィークに妻とマレーシアのクアラルンプールに行ってきました。

現地に住んでいる妻の友達が、マレーシア人と結婚することになり、その式に参加するための旅行です。

マレーシアに友達がいるなんてさすがうちの妻ですわ。

僕の友達なんて金沢くらいなもんです。近江町市場、素敵やん。

 

留学経験もあり、英語もへらへらのさるたこです(へら < へらへら < ぺら < ぺらぺら)。昔は海外でハリハリ働きたいとか考えていましたが、学生時代の留学で、逆に日本の素晴しさを、正確に言うと母国語を使って仕事や生活をすることの豊かさを再発見して、それ以来、海外からはとんと遠ざかっていました。

 

クアラルンプールはかなり都会で、歩行者用の信号機以外は全てありました。

歩行者は皆、その命を懸けて横断します。オーワッタヘル。

 

結婚式の翌日は夜のフライトまでフリーだったので、妻は買い物、僕は大きな公園内のカフェで人間観察をしていました。

みーんなスマホいじってました。本当に世界中の人がスマホいじってました。

先進国や発展途上国の都会ではみーんな退屈なんだなぁと。

パズルゲームか写真撮ってシェアするくらいしかやることないんだろうなぁと。

なんのために豊かになって、なんのために生きるんだろうか。

そんなことをぼーっと考えていると、お土産をたんと買い込んだ妻が戻ってきました。

星形のキャンドルホルダー、大きな金魚の置物、水色のひもの束、アンドソーオン。

どれ一つとっても必要と感じるものはありませんでした。

 

アホみたいに打ち上がる噴水の前で、スマホと長い棒を使って撮影するカップル。

偽ブランド品屋台でパズルゲームをしながら店番する『社長!なんちゃってプラダあるよ』おじさん。

金魚を部屋のどこに飾るか果敢にプレゼンしてくる妻。

みんな生きるのが上手過ぎると思うのです。

 

 

もうすぐGW

 

 もうすぐGW(ジョージ・ワシントンではありません)。

面白いことはねーかーってなまはげみたいにさまよい歩いているあなた。

日常は、面白いことで溢れ返っているのです。

ということで最近面白かったことを紹介。

 

まずは先日図書館で発見した物。

僕は生意気にも新聞を購読しているので、普段はあまり図書館の新聞コーナーにはお世話になりませんが、その日は魔が差したというか、僕の面白アンテナが何かを感知したというか、とにかく久しぶりに前を横切ったんです。

するとそこには『紙めくりクリーム』なるものが、一つ、一つ、ご丁寧に新聞が取り付けられた傾斜のある全ての机に備え付けられていたのです。

その『ハエ取り紙』以来の明解なネーミングセンスはさることながら、朱肉ケースのような入れ物に詰め込まれたクリームはなんと、目の覚めるようなモスグリーン色をしていたのです。

僕は恐る恐るその一つを真上から覗き込みました。それはまさに村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』に登場する井戸を彷彿とさせる神秘的かつ魅惑的な代物でした。中心は手垢で真黒に変色し、底が全く見えません。その吸い込まれそうなほどに強烈なビジュアルと、隣に貼られたライトなフォントで記された『紙めくりクリーム』という名札とのギャップに僕は動悸が激しくなり、ふと隣の席に目をやると、おそらく十日ほど入浴という行為を拒絶し続けている男性が、『紙めくりクリーム』をゴツゴツとした人差し指でぎゅるりと塊、取り、両手のひらになじませているではありませんか。

僕は危うく失神しそうになり、足早にその場を後にしたのでした。

 

続いては地区のフリーマーケットで出くわした人。

とある施設の駐車場で行われたフリーマーケットに出店した僕と妻。

僕らのブースの隣はテレビの取材が来そうな大家族のブースでした。

店主は小奇麗な格好をしたおばさん。息子夫婦や孫たちに的確な指示を出して、子ども服からブティックで扱っているようなテロンテロンの服までたんと売りさばいていました。ファーストリテイリングもびっくり。

お昼の時間になって客足が途絶えると、そのおばさんが僕たちの店を冷やかしに来ました。

ここでくりびつぎょうてんなことにおばさんは素足でした。

目をこすってよく確認しましたが、やっぱり一青窈ではなく隣のおばさんでした。

僕たちの売り物の一つである、赤いスカーフ的な物を手に取り、

「あーこれ! 懐かしいわね。これが500円?」と大げさに言い立てるおばさん。

「これ、着物に合わせて使うやつなのよ。あんたら知ってた?」

実は妻の実家にあったそれをとりあえず持ってきただけで、赤いスカーフ的な物に関する知識においては完全におばさんの方に分があったのです。

「こんなもの500円で売るなんて。まぁ50円なら買ってあげてもいいけど」

それを聞いた僕は、顔から火が出るほど恥ずかしい気持ちになって、このおばさんは、僕たちの無知を赦すだけでなく、身銭を切って、恥ずかしさの元凶である赤いスカーフを僕たちの前から消そうとしてくれるなんて、なんて素晴らしいおばさんなんだろうという気持ちにさせ、まんまと50円でスカーフをかっさらって行ったのでした。

そして素足のおばさんは持ち場に戻ると、パイプ椅子に腰かけ、空を見上げると、

「今日は本当に素晴らしい一日やった。ただ、靴選びを失敗したな」と言い放ったのです。

その時まだ昼の12時半です。

僕はおばさんがどんな靴を履いてきたのか確認してみたい気持ちに駆られましたが、同時におばさんの一日に汚点を残した靴に憎しみさえ感じたのでした。

 

もうすぐGW(ガンダムウイングじゃありません)。

遠くにいかなくたって、日常は、面白いことで溢れ返っているのです。

 

 

春の再会

 

昔の恋人と再会するために生きているんじゃないかと思う。

そして、再会する相手は、振られた人より、振った人との方がなおさら良い。

 

「男は、一度付き合った相手がずっと自分のことを好きだと勘違いしている」って勘違いしている女がいる。

男も女も次に進みたいから振るわけであって、そのあと相手が自分のことをどう思うかなんて別に興味はない。恨まれたり、後を付けられたりしなければ何でもいい。

 

再会した相手は、絵描きの女性だった。

散々泣かせて別れた三年後、彼女の個展が僕の街でも開かれることになったのである。

観に行こうか行かまいか迷った。

何のために行くのか、頭で考えても正当な理由は一つも思いつかなかった。

彼女の作品を観るため。

お世話になったお礼。

辛い思いをさせてしまった埋め合わせ。

彼女の今が幸せかどうか確かめるため。

どれも彼女からすれば、必要ないことこの上ない。

 

結局、僕の顔を見た彼女がどんな表情をするか。何を話すか。

僕は彼女の顔を見てどんな気持ちになるか。それが知りたいだけだった。          

 

再会の気まずい雰囲気を打破するためには最初が肝心だ。

僕はこういう場合、いつも相手にいきなりタックルをする。

物理的に相手にぶつかることで、他のことも一瞬で縮まる。

 

「わっ、びっくりした。」「よっ。」「久しぶり。」「久しぶり。」「元気?」「元気。」

言葉が出てこない。続かない。タックル、初の失敗。

沈黙。こんなに続かないのは、服に興味がないのにエントリーしたユニクロの面接以来だ。

 

「きれいな街だね。」こいつ、そんな映画みたいなセリフ本当に言いやがった。

「結婚したの。」「そっか。」それは知っていた。

「もうすぐ子供も生まれるの。」「そう。」それは知らなかった。

「そっちは?」

「風邪引いた」

彼女は笑った。うんと久しぶりに見た気がした。

 

僕と絵描きの彼女は幸せになるために出会った。

それは今までもこれから先も変わることはない。

それにしても幸せな会話だった。