『流星ひとつ』 沢木耕太郎
昨今、皆が欲しがる能力の一つとしてよく挙げられるのがコミュニケーション能力ですが、そもそもコミュニケーション能力ってなんですの?
コミュ力が高い人は友達が多かったり、異性にモテたり、仕事がデキたりするって言いますが、いったいそれってどんな人ですの?
リーダシップのある人でしょうか? プレゼンが上手い人でしょうか? 聞き上手な人でしょうか?
いいえ違います。あたしが思うコミュ力が高い人は、嫌われない人やと思います。
例えばこんな会話があるとします。
A ねぇ、あの娘見て、冬にフラペチーノ飲んでる!
B ほんまや!
A マジありえなくない?
B ほんまに
A さすがのウチでも冬にはカフェモカやもん
B ウチも
A でも飲んでみたら意外といけるんかな?
B どうやろ?
A 今度いっぺん飲んでみよか
B せやね
A 冬のフラペチーノデビューやわ
B やったろ
この場合、Bの娘のコミュ力はハンパなくて、いわゆる神の域ですね。
でも、こんな会話がスタバの隣の席から聞こえてきても、「知らんがな!なにペチーノか知らんけど、いつでも好きに飲んだらええがな!」っと一瞬で忘れ去られて、読んでいた本の世界にカミングバックすることでしょう。
しかし、下記のような内容だったらどうでしょうか?
A ねぇ、あの娘見て、冬にフラペチーノ飲んでる!
B ほんまや!
A マジありえなくない?
B そう? ウチは全然ありやと思うけどな。
A うそやろ? フラペチーノは夏、冬はカフェモカって決まってるやん。
B なんなんそれ? 誰が決めたんそれ? ビリケンさん? ビリケンさんならしゃあないけど。
A 今ビリケンさん関係ないやん。スタバでビリケンさんの話すんのやめようや。
B なんで? スタバでビリケンさんの話したらあかんて誰が決めたん?
A いや別にあかんことないけど、ビリケンさんとスタバってあんまり雰囲気合わへんやん。
B そんなことないよ。ビリケンさんがフラペチーノ飲んでたら絶対おもろいやん。二度見してまうやん。
A アンタどんだけビリケンさん好きやねん。ていうかビリケンさんがフラペチーノ飲んだら絶対風邪ひくし。
B なんで?
A ビリケンさん裸やもん。
B そっか。ていうか、わかった! アンタ寒がりやろ?
この場合、Bの娘のコミュ力は無いにも等しい、カス同然ですが、隣の席でこんな会話を繰り広げていたら、読んでる本から目線上げてチラ見してしまうでしょう。これでBの娘の顔がビリケンさんに似てたらフラペチーノを一杯おごってしまうでしょう。
人と人との会話って本音で話したら絶対相容れないし、脱線するし、でもだから面白いわけで。やっぱりコミュニケーション能力みたいなもんをお互いが脱ぎ捨ててからが、
ほんまのコミュニケーションなわけで。
この『流星ひとつ』はそんな生の会話を楽しめる本です。
お酒を交えながら沢木さんと藤圭子さんが付かず離れずするのがとても面白い。
もちろんいろいろ編集されているとは思いますが、ある夜の二人の奇跡のような会話を、同じカウンターの席で盗み聞きしているような感覚にさせられます。
また、二人が飲む火酒(ウォッカ)が作品の雰囲気にぴったりで、二人の会話をより一層儚くて危ういものにしています。
一生に一度きりの大切な会話。それこそ流星みたいにきらきらした会話。
振り返るとあたしにも一つや二つあったような気がします。
死ぬまでに、また誰かとそんな会話をしてみたいなぁ。