センター試験について

今日と明日はセンター試験だそうです。

受験生のみんな、楽しい2日間にしてください。

この2日、頑張って結果を出せば最高に楽しい大学生活が待っている。

今までの我慢や苦労が報われる…。

そんな風にして最高に楽しい大学生活を手にした十数名の東京の学生さんが、先日バスの事故で亡くなってしまいました。

ほんまに悲しいです。

痛かったやろうし。寒かったやろうし。

ほんまに悲しいです。

 

やから受験生のみんなには、この2日間を楽しむことだけを考えて欲しいと思います。

僕の高校時代の担任の先生が、

「受験は、人生における最初で最後のフェアな戦いだ」

と言ってはりました。

今考えると、先生病んどったんかなとか心配してしまいますが笑

社会に出ると、パチンコとかやらん限り、白黒はっきり結果が出る勝負ってあんまり出来ないからほんまに楽しんでくださいね。

 

さるたこはというと、英語が得意で、数学が苦手でした。

英語の得意さは、みなさんが想像する8倍くらいのものです。

(当時の僕の部屋は壁中英単語で、エジプトのほこらみたいなもんでした。さらにDUOという単語帳にはまり、時間が許す限り暗唱していた僕は、中世の魔女のように周りから恐れられていました)

数学の苦手さは、みなさんの想像通りくらいです。

 

センターは当時英語が200点満点で数学が科目ごとに100点満点(今もかな?)

試験開始のベルが鳴ると、僕にとって英語は200点からのスタートでした。

分からない問題や不安な問題が出てくると、2点、4点とどんどんマイナスされていく感じで、ちっとも楽しくありませんでした。DUO読んでるときのほうがよっぽど楽しかったな。

それに比べて数学は0点からのスタート。

1点でも多く取ろうって死ぬ気でやりました。

だんだん周りの音とか景色とかが見えなくなって、時間も止まって、自分がいなくなって、ナチュラルな替え玉みたいになって、ただひたすらに1点づつ積み上げていく。

試験終了の合図まで、本当に「あっ言う間」でした。正確に言うと「ふっと言う間」っていう感じ。

結果は両方とも8割でした。

英語はその一年の中で最低点。数学は最高点。普段より二割くらい多めに取れました。

 

僕はこれまで、あのセンターの数学で味わった一時間より、濃密で幸福な一時間を味わったことがないような気がします。

 

みんなのセンターはどんなセンターになるかな。

先のことより、目の前の1点を楽しんでくださいね。

ケーキを食べる

 

昨日は奥さんの誕生日で久しぶりにケーキを食べました。

 

ほんとうはホールケーキをふたりで、浜辺の砂でやる棒倒しゲームみたいに、これくらい食べたろか、ほう、そうきたか、ほんならこっちはこれくらい食べたるわ、てきな感じで食べたかったんだけど、うちの奥さんは少し前に流行ったハイパーメディアクリエーターみたいな仕事をやってはるので、一日中マックの前に座っていて(ハンバーガーのやつあらへんよ)、ろくすっぽ運動しない上、最近はお腹の肉を、フェイスブックくらい気にするので、単品のパンチの効いたやつをふたつ丁寧に食べようということになり、食べたのは、

ピスタチーオ・ショコラと

ムース・フランボワーズってやつ。

 

僕は普段から甘党なので、チョコとかかりんとうとか隙あらばボリボリやっているんだけど、ケーキはものすごく久しぶりだったので、まずはピスタチーオさんをちっこいフォークでそおっと取って、ひげがぽつぽつしてきた口に放り込んだときには、嫁に思わず「なる、うちは、パテシエールになる」と言ってしまいました。

 

ケーキっていうやつはなんて美味しくて、幸せな気持ちにさせるんでしょうか。

そして、食べた瞬間に、そういえば、少し前にあんなに『まれ』にハマっていて、ケーキや甘酸っぱい恋とかにカラカラ飢えていた自分を、いまさらになって思い出したことにびっくりぽんでした。

 

正味500円くらいでこんなにも人を幸せにするもんが他にありますかい? 一瞬ですよ。舌の上に乗せた瞬間、生まれてきて良かった!!って言いながらおこたごと宇宙まで吹き飛んだ感じですよ。

いやーケーキってほんとうビヨンドディスクリプション。

そしてパティシエちゅうやつはほんまに名誉ある仕事やなと思いました。

『火花』 又吉直樹

 

話題の作品。

遅ればせながら思ったことを書かせていただきます。

 

※以降ネタバレあり

 

 たくさんの場所で既にいろいろ書かれておりますので、

僕からは二点だけ。

 

まずこの作品が芥川賞というのにはあまり納得がいきません。

これまでの芥川賞作品を全て読んだわけではありませんが、

僕が読んだ芥川賞作品には常に小説が持つ独特の力を感じることが出来ました。

小説にしか出来ない表現、作家が書くことでしか伝えられない何かです。

『火花』の中にこんな一説がありました。

 

必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろ?

一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するの怖いだろう。

無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。

臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。

 

この想いと時間を経て出来上がった作品が、力のある小説であり、笑える漫才だと思います。

又吉さんは笑いでそれを築くことが出来た。

しかし、今回の小説は、その笑いで培った時間や世界観をノベライズした作品のように思います。

小説という新しい舞台でも、同じようにリスクを負い、常識を覆すことに全力で挑んだ果てに出来上がった作品に芥川賞は渡るべきだと思うのです。

 

二つ目は小説の面白さについて。

『火花』の作中の先輩芸人との掛け合いやクライマックスの漫才のシーン、確かに面白いですが、舞台で、本物のコントや漫才として表現した方が絶対面白いと僕は思いました。笑いの世界で真剣勝負をしている又吉さんならなおさらそう思うでしょう。

では、小説でしか表せない面白さって何でしょうか?

僕は前回紹介した町田康さんの『告白』で主人公が意中の女の子を意識しながら盆踊りをするシーンを電車のなかで読んでいたんですが、周りの人が引くほど笑ってしまいました。

又吉さんが、小説という表現方法を使って何をやりたいのか?

小説でも笑いにこだわり、小説でしか表現できない笑いを追求するのか。

もしそうなら、今回の『火花』では到達出来ていなかった気がします。

 

とにもかくにも又吉さんの次回作が楽しみです。

でもしつこいようですが、次回作で度肝抜くような作品を生み出した時に、はれて芥川賞を渡して欲しかったと僕は思うのです。

『告白』 町田康

いやはや驚きました。

村上春樹さんの『海辺のカフカ』以来の衝撃でした。

 

町田康さんの『告白』

全840ページ。レンガみたいな文庫本。

 

どこかに素敵な純文学作家はおらんけ…

と軽い気持ちでネット検索していたら、

生涯最高!…とか、

ドストエフスキーを越えた…とか、

そんな嘘くさいレビューと一緒に見つかったこの作品。

 

「あほこけ、こちとらどんだけの時間と金使って、いままでなんぼほど本読んできたとおもてんねん」

と疑いながらダンベルみたいな本を手に取り、筋トレごとく読み進めること数週間。

(※主人公の熊太郎に触発されて関西弁になっています)

 

「あれ?」

「おもろいんやんけ…」

「こりゃ…ほんまもんやわ」

 

 大学生で『海辺のカフカ』を読み終えたとき、

「あーたぶんこれからこの小説よりおもんない人生送るんやろな」って思いました。

 

30歳で『告白』を読み終えて、

「死ぬまでに見つけようと思ってたこと、すでに書かれてしもてるやん」って思いました。

 

どこにでもいる普通の男、熊太郎が、どうして人を殺さないといけなかったのか。

誰よりも言葉を大切にした熊太郎の、最後の言葉は。

 

この時期に少年Aの『絶歌』じゃなくて、町田康の『告白』を読んだことに、何か運命的なものを感じました。

 

『デッドエンドの思い出』 よしもとばなな

よしもとばななさんのおかけで僕は小説が好きになりました。

 

みんな何のために小説を読むんでしょうか?

僕の答えは簡単です。

彼女の『キッチン』という作品を読んだときに味わった、

奇跡のような感覚に再び出会いたいから。

 

どのシーンでそれは起こったか、正確に覚えています。

主人公の女の子が、屋根の上、かつ丼と共に夜空を見上げているシーン。

どんな感覚を味わったか、今の僕では正確に伝えることは出来ません。

それが上手く出来たら僕はたぶん小説家になれると思います笑

 

でも挑戦するとすれば…

その感覚に一番近い表現というか、描写は、

映画『スタンドバイミー』で、死体探しの道中、主人公たちが森の中で野宿をした翌朝、主人公がひとり早起きして、偶然、野生の鹿を目撃し、そのことを自分の心の中だけに留めておくシーンがあるんですが、まさにそんな感じです。

いろんな不安とか思惑とか言葉とかそんなものが、圧倒的にきらきらした光みたいなものにブワッと払いのけられて、めちゃくちゃ静かになって、お腹の底あたりからじわーってあたたかくなってくる感じです。

伝わりましたでしょうか?

 

友達と遊んでも、スポーツや仕事に精を出しても、この感覚とは出会えません。

出会えるのは小説を読んでいるときと、恋をしているときだけだと思います。

『キッチン』以降、僕はまたその感覚を味わいたくて、たくさん小説を手に取りました。

そして、いろんな作家さんの小説で度々その感覚と出会いました。

でも読めば読むほど、出会う瞬間が減ってきたようにも感じます。

しかし、気を抜き、油断していると、いきなりそれはやってくるのです。

最近では、柴崎友香さんの『春の庭』を読んだときにバッスーンやられました笑

だから小説を読むのを止められないのです。

ばななさん、教えてくれて本当にありがとう。

 

さて『デッドエンドの思い出』ですが、切ない恋愛模様を描いた短編集です。

ばななさんの恋愛小説は本当にきゅんきゅんきゅーんしてしまいます。

SNSだけで男女関係やっているやからたちにぜひ読ませてやりたいですねほんとに。(SNSでなかなかいい恋愛しちゃってる人いたらすんません。30過ぎると若い人をちょっとだけバカにして、自分がいくらかは成長しているって思いこませないとやってられないのです笑)

 

僕は5つの短編の中でも『幽霊の家』が気に入りました。

※ネタバレあり

 

 

気になる男性と一夜を過ごした布団の中で、主人公は幽霊をみるんだけど、その幽霊は全然怖くなくて、幽霊と男性のぬくもりに包まれながら主人公はどんどん恋に落ちていきます。

以下はそのシーンの本文からの引用

本気で好きなってしまいそうだった。ただでさえ、まだ体中が彼の性質を感じとっている最中だった。あんなに弱くてばかで優しくても、ちゃんと男の子で、男の力で女を抱くことができるんだと

 

こんな文章書かれた日にはたまりませんよね。

幽霊さんたちがふたりの恋に何をもたらすのか…ぜひ読んでみてくださいね。

『LIFE!』  ベン・スティラー

映画のレビューもやります。

いや久しぶりに気持ちのいい映画を観ました。

 

※ここからネタバレあり

 

ベン・スティラー主演、監督の『LIFE!』です。

冴えない主人公が、人生を変える大冒険に出る!

予想通りのストーリー展開で、いろいろツッコミたくなるようなシーンも多々ありましたが、結局最後には涙ポロポロでした。

まさにお手本のような映画です。

 

あらすじなどはここで↓

映画『LIFE!/ライフ』オフィシャルサイト

 

僕は英語が好きなので、ぐっときた2つのセリフを紹介します。

※英文も訳文も僕の解釈です。原文を実際に引用したわけではありません。

 

まず一つ目

 Beautiful things don't ask for attentions.

本当に美しいものは注目を求めない

 

これは主人公のウォルターが、野を越え山を越え、探していたカメラマンのショーンをついに見つけ出して、無くなったネガのありかを聞き出そうとするシーンでのセリフです。

念願のショーンとの遭遇に騒ぐウォルターの横で、ショーンはカメラを前方に構え、ファインダー越しに滅多にお目にかかれない幻のヒョウの姿を狙っています。

ヒョウは警戒心が強く、静かな場所にしか現れません。

ウォルターのせいでシャッターチャンスを逃すことを恐れたショーンの言ったセリフがこれでした。

これまで数えきれないほどの美しいものをカメラに収めてきた彼だから言えるセリフ。深いですね。

世の中に跋扈するうっぺらなクリエイターたちに聞いて欲しい一言です。

 

そして二つ目

 Stay in it.

 そこに留まれ

 

これも同じ場面。ついにファインダーの中に姿を現したヒョウ。

しかし、ショーンはいっこうにシャッターを切りません。

見かねたウォルターは言います。

Why don't you take it?

撮らないの?

Sometimes, I don't.

撮らないときもある

I mean, sometimes, I really like it, personally, I don't want to be distracted  by camera. I just want to stay in that moment.

その、ときどき、本当にそれが気に入ったときは、カメラに邪魔されたくないんだ。ただ、その瞬間に留まっていたいんだ。

Stay?

留まる?

Stay in it.

 

このやり取りの中でショーンの目には光るものがあるようにも見えます。

ショーンは何故撮らないのか?

僕みたいなもんにはまだまだ分からない世界です。

 

結局この映画はこの二人のエンカウンターのシーンが全てのような気がします。

出会いを大切にしてきた人が作った作品なんだなぁと感じました。

 

『紙をつなげ!彼らが本の紙を造っている』 佐々涼子

久しぶりに小説じゃない本を読みました。

この本はたぶん新聞の書評欄で見つけました。

 

ちなみに僕は毎朝30分くらいかけて地方紙を読みます。

大人になったら新聞を取る。小さい頃からの夢でした。

夢を叶えて気が付いたことは、大人になっても新聞は大きいということでした。

なんであんなに大きいんだろう。とかく読みづらい。

一通りいろんな格好で読んでみましたが、

結局地面に直接びゃっと開いて井戸の中を覗き込むような格好で毎朝読んでます。

 

『紙をつなげ!彼らが本の紙を造っている』は東日本大震災で壊滅的なダメージを受けた日本製紙石巻工場が、奇跡の復興を果たすまでを描いたノンフィクション作品です。

村上春樹さんの小説も、ワンピースも、コロコロコミックもこの工場の紙から出来ているそうです。まさに出版業界の心臓。本好きにとっては足を向けて寝れない大切な存在なのです。

そんな工場が津波に飲み込まれ、瓦礫まみれの状態からどのようにして再生したのか?

読み進めていくと震災当時の石巻の様子が頭の中でどんどん形になっていきます。それを可能にしている活字の波が印刷されている、手元の紙、それこそが舞台の石巻で造られている紙なわけで。なんとも不思議な読書体験でした。

 

読了後、否応なく己の震災へのリアクションを思い返すことになりました。

あれから4年。

僕は当時京都に住んでいて、揺れた時は会社のトイレにいました。

その後、会社の同僚とテレビに映る津波の映像を只々茫然と見ているだけでした。

まさに映画とかドラマとかフィクションを見ているようでした。

 

東日本大震災がフィクションではなく現実であることは、現地に行かないと絶対に理解できません。

京都にいてテレビを見ているだけでは、奇跡の救出劇とか、芸能人の支援活動とか、編集の入ったハイライトシーンしか見ることができません。

現地に行かなかった僕にとって震災は4年経ってもフィクションなのです。

当然ですが被災地には、震災後も同じように24時間の一日がきて、それには朝も昼も夜もあって、みんなお腹も空くし、排せつもするし…。でも明らかに震災前とは状況が全く違うわけです。家がない。仕事がない。大切な人がいない。どうやって生きていけばいいのか。詰まる所、無情にも積み重ねられていく24時間をどうやってやり過ごせばいいのか。

アイツは亡くなって、オレは生き残った。どうして?

本では、葛藤しながらも徹夜で復旧作業をする人の姿も、そしてそんな中で略奪行為をする人の姿も描かれています。まさに想像を超えた現実の世界です。

 

僕の会社の同僚の中には、仕事を休んですぐに被災地へボランティアに行った人間もいました。

僕は行けませんでした。というか行きませんでした。

僕は、僕の震災後の24時間の連なりをそれまでより少し真剣に生きることで、被災地から目をそらしていたような気がします。

しかし今回この本の紙に触れていると、

ほんの少しだけ被災地に自分が近づけたような気がするのでした。