気持ちいいこと

先日どしゃ降りの雨の中をランニングしていると、前から歩いてきたおじさんに、「ほっほー、ようやるねー」と言われた。

 

10年近くランニングを続けている僕にとって、雨の中を走ることなんて全然普通のことで、別にどしゃ降りのタイミングを選んで走っているわけじゃなくて、走り出した頃は小雨でこのくらいなら大丈夫かなって思っていたら、途中で本降りになったわけだけど、でも、おじさんに言われて、どしゃ降りの中走ることが異常だって、初めて気がついた。

 

その日は普段走っている近所のサイクリングロードではなく、長い水路に沿って続いてる遊歩道みたいなところを走っていて、このコロナ渦だから全然人がいなくて、その上どしゃ降りで、両側から茂ってくる木々が、緑のトンネルみたいにきらきら輝いていて、木の根っこやら、石やら水たまりででこぼこになっている道を、ただひたすら転ばないように走っていると、自分がなにかケモノみたいになったような気がしてきて、雨や吐く息の音、土を蹴る音、草花と雨と汗と土とが混ざり合った匂い、自分と周りの輪郭がだんだんぼやけてきて、全体っていう感覚になって、わぁーって静かに目の前の景色に吸い込まれて行く中、その映像がビュンビュン後ろへ飛んで行くのが、本当に気持ちよかった。

 

ひとつのことをある程度長くやっていると、ちゃんと基礎が身について、その上に遊びというか余裕が出てくる。

僕の場合はそれがランニングで、走っているとき、脚は本当に機械みたいにほぼ自動的に動いていて、分からない人に分からないと思うけど、本当に乗り物に乗っているみたいな感覚で空間を移動している。

だから時々、わらけてくるくらい気持よい時間、さっき書いたような時間が訪れる。

多分どしゃ降りで、足場が悪くて、とにかくランニングだけに集中できたから、久しぶりにそんな気持ちになれたのかもしれない。

こういう趣味というか作業というか行動というかを、ひとつ持っていると人生は本当に楽しい。

たぶんひとつも持ってない人もいるし、ふたつ以上持ってる人もいるかもしれない。

とにかくそれを手にいれるには、知らない間に「ほっほー、ようやるねー」って人に言われるくらいまでそれをやらないと手に入らないんだと思う。

 

ここで最近、偶然youtubeで見つけたダンスの動画。

 

youtu.be

 

この動画で踊っている人たちは完全にダンスが手に入れたそのひとつである。

僕はダンスのことなんて全くわからないけど、こんなに気持ちよさそうなところまでいくには「あのアホ、またやってるわ、ほかにやることないんかい」くらい言われていると思う。

でもここで面白いのが、センターのボブの女性だけを目が勝手に追ってしまうことだ。

もちろんカメラの撮り方とか、ポジションとか、服の色とかも影響しているだろうけど、たぶんそれだけじゃないと思う。

彼女が先生で技術的にも一番うまいんだろうけど、そんなの関係なくなんか違う。

これが華とか才能なんだろうと思う。

ひとつひとつの音に対して、身体と感情を全部ぶち込んで、めちゃくちゃ複雑なはずなのに、全くしなやかで、流れていて、とにかくいちばん気持ちがよさそうなのだ。

こういうところまでいくとどんな景色が見えるんだろうとか想像するだけで幸せだ。

 

僕のひとつ目はランニングで、人生であともうひとつくらい増やせればいいなと思う。

この趣味というか、作業というか、行動というかを、なんと呼べばいいんだろう。

仕事じゃないだろうし、好きなこと、っていうわけでもない気がする。

今のところいちばんしっくりくるのは、気持ちいいこと、かな。

 

シンコロ

非日常がテレビで流れていると
もっとひどくなっちゃえ
こんな世界変わっちゃえとか
勝手な妄想をしてしまう自分がいる
だって他人事だから

でもこのコロナは
全然他人事じゃなくて
あれだってこれだって中止になったし
大切な人とも離れることになったし

星野源をみて
自分にはなにができるだろうかとか考えてみるけど
星野源も みんなも 好きなことを
好きなことがわからない人は誰かに言われたことを
とにかく必死でやっているわけで
背伸びする必要なんて全然なくて
目の前のことをひたすら丁寧にやるだけで

やることが突然なくなった人
体調が悪くなってやれなくなった人
そんな人はとにかく生きのびることが仕事なわけで
みんなみんなとにかく飯食って笑って寝れればその日はオールOKなわけで
結局はその積み重ねがいつだって人生なわけで

それでも今回しっかりわかったことは
やっぱり一人じゃ生きられないってこと
一人じゃお金稼げないし
一人じゃ肌寒いし
一人じゃ笑えない
好きな人 普通な人 微妙な人 嫌いな人
全部がいて社会

テレビも映画も本もネットも全部大好きだけど
コロナのおかげで
やっぱり人に触れたいって真剣に思った

でも触れられないから
触れたら密だから
今は想像する
コロナがどっか遠くに行くまで
とにかく想像する
大切な人 大好きな人と触れ合っている時間を詳細に想像する

それぞれの想像力とコロナとの戦いがつづいていく

恋愛について

飲み会とかで

どうやったら結婚できますか?

どうやったら出会えますか?

そもそも好きとか分からんくなりました

とか言ってる女子と男子

何言うてますのん

 

あたしなんてそんなことで悩んだこと一切ない

パートナーがいなくなった瞬間から死ぬほど寂しくなって、食べるもんも観るもんも読むもんも聞くもんも全部半分になってしまって

そもそも学校行くんもバイト行くんも会社行くんも、言うたらその日起きるのは好きな人に会うのが全てのモチベーションやしそれ以外の理由なんて一切なし

そんくらい恋愛が最優先事項になったら

どうやったら出会えるとかどうやったら結婚できるとか言うてる暇ないし

心開いてたらその人が動いてるのみるだけで好きになれるし

 

どうせ悩んでる人は

自分の状態とか

相手の状態とか

社会の状態とか

恋愛に関係ないことアホみたいに心配しているだけで

ほんまに大切なのは

手をつないだりハグしたりチューしたときのしっくり感とかあたたかさで、それだけは財産とか学歴とか資格とかと関係ないもんやから

とにかく寂しいよって叫べばいいのに

 

傷ついたり格好悪くなる覚悟ないのに、恋愛とか結婚とか求めんなよほんとに

 

人間らしさ

 

たまには女らしさと男らしさから離れて

僕の好きな人間らしさと嫌いな人間らしさを

5つずつくらいで挙げてみますと

 

まず好きなところ

美味しいとか美しいに嬉しくなるところ

同じこと繰り返すところ

やっぱり晴れの日が好きなところ

朝は硬いけど夜になるにつれてまるくなるところ

祭りになったら騒ぐところ

 

次に嫌いなところ

はやいとか高いとか大きいに惹かれてしまうところ……

 嫌いなところはこれくらいでした

 

それで僕の好きそうな二人が

夕焼けの見える海沿いのカフェでシーフードパスタとか食べながら

「てかそのエビマジで美味しそう」

「あんたくちびるテッカテカやん」

「あっ!クルーズ船!」

「でか!そしてなが!」

「なんであんなんが浮くんやろね」

「ビールおかわりしていい?」

「私も」

 

 みたいな会話をしている二人を想像すると

結局二人とも女の人になってしまうのでした

 

おんなとおとこ

おんなのこ

 

ちちもおしりもがんめんも

 

もともとそのこにあるもので

 

そんなもんよりたいせつな

 

そのこだけのもんあるはずやのに

 

けっきょくちちとおしりとがんめんばかり

 

さんかいくらいしねおとこ

 

私の最後の日

もし明日で命が終わるなら

吉祥寺の美容室に行って

とびっきり可愛くしてもらって

マーガレットハウエルとかの服を買って

めちゃくちゃオシャレして

みなとみらいに行くだろう

ヒールの音カツカツさせながら赤レンガ倉庫とか歩いて

日が落ちて来たら

海が見えるベンチに座って

コンビニで買ったハイボール飲みながらミックスナッツ食べながら

これまで恋をした人のことを思い出すだろう

夜風に吹かれながら

素敵だったあの人のことを思い出すだろう

 

最後の日はどうせなら晴れの日で穏やかで静かで

ひとりがいい

 

寂しいだろうけど

そのくらいがちょうどいい

ひとりがいい

 

東京マラソン2020 エリートレースのみ開催について

 

 僕が参加を予定していた3月1日行われる東京マラソン2020が、国内におけるウイルス感染拡大予防のため、エリートレースのみの開催となったことについて、ツイッターでいろいろ物申したのですが、ツイッターではうまく伝わらなかった部分もあったため、このブログでも再度物申したいと思います。

 

 まず始めに僕の自己紹介ですが、2013年の京都マラソンから本格的に市民マラソンレースに参加し始め、これまでに15以上のフルマラソンハーフマラソンの大会に参加している市民ランナーで、フルマラソンの自己ベストは3時間23分です。

 今回の東京マラソン財団のエリートレースのみ開催するという決定について、僕は二つ納得がいかないところがあります。

一つ目はなぜ完全中止ではないのかという点。

そもそも大会の規模を大幅に縮小しようという決断に至った理由は、国内におけるウイルス感染拡大予防のためのはずです。エリートランナーが走れば沿道に観客が集まることは必至、またこの時期にレースを行うことでエリートランナー自身の感染の可能性も高まります。東京マラソン財団の決定は、アスリートファーストではなくオリンピックファーストだと感じます。直ちに大会の完全中止、それが無理な場合は、沿道応援自粛の呼び掛け、テレビ中継の中止を行うべきだと思います。これがサッカーの試合であれば無観客試合などの措置が取れますがマラソンレースではどれだけ沿道応援の自粛を呼びかけても限界があると思います。テレビ中継は絶対中止。

はたして参加する200人のエリートランナーたちはこんな環境下のなかでも走りたいのでしょうか。アスリートファーストというのなら200人のランナーに対して参加の意思があるのかヒアリングを行った上で大会の実施を決定すべきだったと思います。

今大会は完全中止にして、ウイルス拡大が収束した後に、残り一枠を争うMGCのような選考会をもう一度行う、それが難しいのであれば前回のMGCの結果のみでオリンピック代表を決めるべきだと思います。

それでもどうしても3月1日行いたいのであれば、いっそ都内数か所のスポーツジムを借り切って、200人同時にランニングマシーンで42キロ走るのはいかがでしょうか。

 

二つ目に納得がいかない点は、大会が中止にならないのに僕が16,200円(参加料)を支払うことです。

これをツイッターでつぶやいた際、「ざまあみろ」とか、「たかが16,000円じゃん、お前相当貧乏なの?」とかたくさん返信をいただきましたが、一番多かったのは、「規約ちゃんと読めよ」というコメントでした。

返金について明記されているエントリー規約13条を熟読しましたが、大会が中止になった場合の返金の措置についてしか書かれていません。そこで電話で問い合わせをしたところ、そもそもの募集要項に基本的に参加料の返金はないと明記されており、エントリー規約13条に該当する大会中止の場合のみ返金があるという返答がありました。こうやって書いていてもよくわかりません笑

しかしここで僕が本当に言いたいことは、たくさんのレースを経験している市民ランナーにとって災害等で大会が中止になり、参加料の返金がないことは全然あるあるのことで、僕が憤っているのは大会は開催されるが、僕は走れない、なのに参加料を支払うという鬼のような仕打ちのことです。

2017年、参加を予定していた横浜マラソンが台風の影響で中止になりました。もちろん参加料は返金なし。当日の朝、窓から外を見ると小雨で、風もそんなに強くありませんでした。全然走れるやん。これまでもっとヤバい天候で走った大会いくらでもあるやんと思いながらもあきらめきれたのは大会そのものがないから。

しかし今回は来る3月1日に僕が走るはずだった大会が、規模を大幅に縮小した上でですが開催されます。このままいけばおそらくテレビ中継もされるでしょう。仕事も既に休みを取っています。暇です。当日僕はついテレビをつけてしまうでしょう。マラソン好きだから。どんなテンションでその中継を観ればよいのでしょうか。あっあの12キロ地点っていう看板に僕の16,200円が使われたのかしらん?とかそんな感じでしょうか。

いやいやこれがMGCみたいな選考大会ならなにも文句言いませんよ。でもこれは自分が参加するはずだった国内最大級の市民マラソン大会の話ですよ。

以下大会のテーマ(抜粋)

「健康のために走るという人もいれば、愛する人のために走るという人もいる。また自分の記録や限界をどれだけ超えられるかを楽しみに走る人や東京を楽しむ人もいる。そして、走る人を支える人と、応援する人がいる。『走ること』をいろんな形で楽しむ人たちがこの東京マラソンという場に集ってきます。Show Your Story」

いやいやこのままやったらオリンピックのための人しかいませんやん。

 

エリートしか走らなくていいって軽く差別された上で参加料だけ取られるってどんな仕打ちですか。

 今回の決定、一体誰が笑顔になるんですか。まぁ誰かが笑っているんでしょうね。

 こんだけ言うてても来年また16,200円くらい払って走るんでしょうね。

だって走るの大好きですもん。